ストーリー
ダート馬というと晩成型とのイメージを持つ方も多いだろうが、2000年以降の最優秀ダートホースは11年まですべて、遅くとも4歳前半までに重賞勝ちを収めている。そんな中、最優秀ダートホースのタイトルこそ取れなかったものの、G1・5勝を挙げたタイムパラドックスは、じわじわと力をつけたいかにも「ダート馬」らしい強豪だった。
タイムパラドックスは3歳を迎えた01年3月にデビューし、新馬、500万とダート1800m戦を2連勝を飾った。しかし、芝に挑戦した青葉賞では11着に大敗し、直後には骨折も判明。芝でも活躍馬続出のブライアンズタイム産駒、そして従兄弟に天皇賞馬・サクラローレルを持つ血統だったが、この青葉賞が生涯唯一の芝でのレースとなった。その後はダートで勝ち鞍を重ね、同期のジャングルポケットやマンハッタンカフェなどが既に引退した03年2月、5歳で北山Sを制してオープン入り。しかし、この年はトパーズSでのオープン特別1勝を加えるにとどまり、まだ「一線級」との評価を得るには至らなかった。
そんなタイムパラドックスがついに飛躍を遂げたのは、6歳を迎えた04年だった。年明け初戦の平安Sで、これまでの後方待機から一転、道中3番手を追走すると、直線でクーリンガーとの一騎打ちを制して重賞初制覇。さらに、4月にはアンタレスSも制すると、地方競馬でもブリーダーズGC、白山大賞典を制覇。JBCクラシックはアドマイヤドンの3着に敗退したものの、4番人気でJCダート(当時東京2100m)に出走した。
ここは後方追走になったものの、4コーナーで馬群を突いて前へ接近。直線で挟まれかけたところを鋭い脚で割って出ると、そのままアドマイヤドンの追撃を楽に振り切ってこの年重賞5勝目、そしてついにG1のタイトルを手中にした。さらに、翌05年は年明け初戦の川崎記念を制してG1・2勝目。既に7歳を迎えたタイムパラドックスだったが、衰えなどみじんも見せずに、いよいよダート王としての道を歩み始めたのだ。
フェブラリーSは4着、そしてかしわ記念は2着に敗れたが、帝王賞では3コーナーから長く脚を使って快勝。そして秋、JBCクラシック(名古屋)でも力強いまくりでG1・4勝目を挙げた。しかし、連覇を狙ったJCダートで4着に敗れると、1番人気に推された東京大賞典でも3着敗退し、この年の最優秀ダートホースのタイトルは3歳のカネヒキリに奪われてしまう。さらに、翌06年はフェブラリーS9着など馬券にも絡めないレースが続き、年齢的な衰えを隠せないものと思われるようになっていた。
そんな中で出走したのが、この年は川崎で行われたJBCクラシックだった。中団の外を手応え良く追走し、2周目1コーナーで2番手まで進出。初重賞制覇を挙げた平安Sを思い出す先行策に出ると、早くも3コーナーで先頭に立ち、そのまま堂々たる王者の走りで後続を完封、JBCクラシック連覇を達成してみせたのだ。その後、骨折によりこれが現役最後のレースとなってしまったが、晩成型の名馬にふさわしい「史上最高齢・8歳での平地G1勝利」という勲章を手に、第二の人生を歩む北海道へと旅立っていったのだった。