ストーリー
数々の名馬を世に送り出し、日本の競馬史を変えた大種牡馬サンデーサイレンス。だが病には勝てず、手術と闘病生活を経て、最期は衰弱性心不全に斃れる。2002年8月19日のことだった。
同年の秋、急死した父の名をさらに高めようという志を持って1頭のサンデーサイレンス産駒がデビューした。ネオユニヴァースだ。
11月・京都の新馬戦を勝ち上がったネオユニヴァースは、中京2歳Sでは僅差3着に敗れたものの、明け3歳初戦の白梅賞1着、きさらぎ賞で重賞初制覇、そしてスプリングSも勝利と、順調にクラシック有力候補へと上り詰めていく。
スっと好位に付けられる先行力、鞍上のゴーサインに合わせて瞬時に動ける自在性、相手をきっちりと封じ込める末脚の確かさ、すなわち卓越したレースセンスを武器に、ネオユニヴァースは1番人気を背負って第63回皐月賞へと臨むことになったのだった。
結果、皐月賞を見事に勝利するネオユニヴァースだったが、ひょっとするとこのレースで悔し涙を流していた可能性もある。3コーナー過ぎからペースが上がり、そこで仕掛けた差し馬たちと先行勢とが密集、ネオユニヴァースは内に閉じ込められてしまい、直線に入っても前方には馬の壁、という状況に追い込まれたのだ。
誰もが観念した瞬間、1頭が通れるか通れないか、わずかなスペースが目の前に生まれる。すかさず馬体をねじ込んでいくネオユニヴァース。抜け出しての差し切り勝ちだ。
この苦しい一戦を乗り越えた自信からか、第70回日本ダービーでも1番人気に支持されたネオユニヴァースは、堂々の走りを披露した。重馬場の芝の上、直線で一気に脚を伸ばし、好位から抜け出していたゼンノロブロイを競り落とすようにしてゴール。サンデーサイレンス産駒としては初となる3歳クラシック二冠を達成したのである。
ネオユニヴァースの当初の鞍上・福永祐一騎手がクラシックではエイシンチャンプに乗ることとなったため、スプリングSからはミルコ・デムーロ騎手にバトンタッチしている。デムーロ騎手は見事に役目を果たして皐月賞を制し、母国イタリアでの騎乗予定をキャンセルしてまで日本ダービーでもネオユニヴァースに跨り、二冠を成し遂げたのだ。
ところが、春の時点でデムーロ騎手は3か月分の短期騎手免許を消化、このままでは三冠のかかる菊花賞には乗れない。そこで急遽、「同一の馬で同一年にGIを2勝以上した場合、その年のGIでも当該馬に騎乗できる」というルールが新設され、ネオユニヴァースとデムーロ騎手のコンビは晴れて菊花賞へ挑むことが可能となったのである。
残念ながら菊花賞では3着に敗れたが、父が競馬史を変えたのと同様、ネオユニヴァースもまた、その素晴らしい走りで競馬のルールを変えてみせたのだった。