ストーリー
父サンデーサイレンス×数多くの重賞ウィナーを送り出した母系という血統や、セレクトセールでついた1億3000万円の価格などから期待の大きかった馬、マンハッタンカフェ。だが体質が弱く、デビューにこぎつけたのは3歳1月のことだった。
ようやくレースに使えるようになっても、まだ馬体と成績は不安定。新馬戦3着、2戦目で初勝利、3戦目で弥生賞に挑戦して4着と善戦したものの、続く500万下特別では11着に大敗。この間、なんと馬体重を42kgも落としてしまう。
立て直しを図るべく短期放牧に出され、ターフに復帰したのが8月の札幌だ。前走比プラス46kgでの出走。ただし太くなったのではなく元に戻った、いや、急激に成長したための増加である。その証拠に古馬相手の500万下と1000万下を連勝、期待された通りの素質が開花し始めたことをうかがわせて、マンハッタンカフェは秋を迎えたのだった。
セントライト記念4着を経て、挑むは2001年11月・第62回菊花賞。世代ナンバー1と目されていたアグネスタキオンは故障のため不在だったが、日本ダービー馬ジャングルポケット、同2着のダンツフレーム、札幌記念と神戸新聞杯を連勝したエアエミネム、さらにはアグネスゴールドやサンライズペガサスらが出走した一戦だ。
難敵揃いのレースといえたが、マンハッタンカフェは素晴らしい走りでライバルたちを一蹴した。
スローペースで流れ、ほとんどの馬が折り合いに苦労する中で、マンハッタンカフェと鞍上・蛯名正義騎手の息はピッタリ。苦もなく追走すると、3コーナーからスルスルとポジションを上げていき、直線では粘るマイネルデスポットをきっちりと差し切ってみせる。
春には成長の遅さに苦労していた馬が一気に力をつけて、同世代の頂点へと上り詰めたのである。
マンハッタンカフェが蹴散らしたのは、同期生たちだけではなかった。続く有馬記念では、当時最強を誇ったテイエムオペラオー、その終生のライバル・メイショウドトウとナリタトップロードらを撃破する。先行したトゥザヴィクトリーやアメリカンボスが粘るところ、ただ1頭だけ脚を伸ばして豪快に差し切るという、器の大きさを感じさせる勝ちっぷりでのGI連覇だった。
さらに翌年、日経賞6着をステップに天皇賞・春へと進んだマンハッタンカフェは、ここでも鮮やかなパフォーマンスを見せた。ゆったりとした先行策から直線では鋭くスパートし、ナリタトップロードをねじ伏せ、ジャングルポケットも封じ込めての1着だ。
体質の弱さと驚異的な成長力、時おり見せる惨敗と大レースでの勝負強さ。相反する要素を体内に併せ持つかのような競走馬生活を送ったマンハッタンカフェは、実に個性的なステイヤーであった。