ストーリー
毎年数多く誕生する「クラシック候補」。しかし、実際にクラシックの栄冠を手にできるのは牡牝合わせて最大でも5頭まで。「元候補」の多くが涙をのんでいる。アドマイヤムーンも3歳時はそんな「元候補」の1頭だったが、古馬になってさらに成長。クラシック敗退の悔しさを晴らし、3つのビッグタイトルを獲得するまでの名馬となった。
アドマイヤムーンのデビューは05年の2歳夏。新馬、クローバー賞を連勝すると、重賞初挑戦の札幌2歳Sも中団から差し切って無傷の3連勝。暮れのラジオNIKKEI杯2歳Sでサクラメガワンダーのハナ差2着に敗れ連勝こそ途絶えたものの、4戦3勝の好成績で2歳戦を終えた。
3歳初戦、共同通信杯では前年の2歳王者・フサイチリシャールを下して快勝。さらに弥生賞も連勝し、皐月賞の最有力候補となったのだった。
迎えた皐月賞は断然の1番人気。しかし後方からレースを進めたアドマイヤムーンは、メイショウサムソンの前に4着敗退。続く日本ダービーも、メイショウサムソンが二冠を達成する中で末脚不発の7着に終わり、早熟説もささやかれるようになっていた。
しかし札幌記念で復帰すると、鮮やかな差し切りを決めて重賞4勝目。天皇賞(秋)は3着、そして初の海外遠征・香港Cは僅差2着とG1にこそ手は届かなかったものの、古馬相手に好走を重ねて早熟説を一層した。
明けて4歳を迎え、59キロを背負った京都記念を制覇。この勝利を足がかりにドバイデューティーフリーへと遠征したアドマイヤムーンは、中団を追走すると、先行した前年の天皇賞(秋)優勝馬・ダイワメジャーを目標に末脚炸裂。直線半ばで一気に突き抜けると、リンガリの急襲も抑え異国の地でG1初制覇を達成したのだ。
クイーンエリザベス2世C3着を挟み、アドマイヤムーンは宝塚記念へ。ここには、前年の春二冠で後塵を拝したメイショウサムソンが出走していた。アドマイヤムーンはそのメイショウサムソンを前に見る形でレースを進めると、直線はこの2頭の激しい叩き合い。そしてゴール前、アドマイヤムーンが最後にもうひと伸びを見せ、見事にクラシック敗退の雪辱を果たす一戦となった。
秋の天皇賞は、不利の影響もあってメイショウサムソンに再逆転を許す6着敗退。しかし、続くジャパンCでは2400mの距離が不安視される中、内から鮮やかに抜け出してポップロック、メイショウサムソンを退けG1・3勝目。さらに、年明けには年度代表馬のタイトルも獲得して引退の花道を飾ったのだった。
1番人気を裏切る形で苦杯をなめた皐月賞以降、国内G1では1番人気に推されることはなかったが、自らの走りでその実力を再び証明したアドマイヤムーン。引退後は人気種牡馬となり、産駒には父のなし得なかったクラシック制覇の期待がかけられている。