ストーリー
初年度産駒から朝日杯3歳Sのフジキセキ、皐月賞のジェニュイン、オークスのダンスパートナー、日本ダービー馬タヤスツヨシらを出し、以降、10年以上に渡り大種牡馬として君臨し続けたサンデーサイレンス。最大の武器は、芝のマイル〜中長距離で発揮される驚異的な瞬発力といえただろう。
サンデーサイレンス8世代目の産駒として誕生したゴールドアリュールもまた、そんな特徴を期待された馬だった。母はフランスで3勝をあげたニキーヤ、母の父は仏チャンピオンサイアーのヌレイエフという血統だ。
2001年、ゴールドアリュールは2歳の11月に京都・芝1800m戦でデビューして2着となり、2戦目に初勝利をマークする。まずまずの滑り出しだったが、ここで壁に突き当たった。ホープフルSでは4着に終わり、明け3歳となってからも500万下で3着、5着、4着。差しては届かず、前へ行っては差されるレースで勝ちあぐねたのである。
転機はダート戦への出走だった。
阪神の1800mで後続を4馬身突き放したゴールドアリュールは、続く端午Sでも4馬身差の圧勝。その後、日本ダービーに駒を進めて5着と健闘したものの、この馬のダートでの能力を実感した陣営は、以降、ゴールドアリュールの戦場を砂の上に絞って戦っていくことにする。
するとたちまち、ゴールドアリュールは頭角を現した。大井のジャパンダートダービーでは2着を7馬身もちぎり捨て、盛岡でおこなわれたダービーグランプリでは10馬身差の完勝レースを披露した。中山1800mでの開催となったジャパンCダートはイーグルカフェに屈して5着に敗れたものの、暮れの大一番・大井の東京大賞典では2着以下を完封してみせた。結果、イーグルカフェやフェブラリーS勝ち馬のアグネスデジタルを差し置いて、この2002年度JRA賞で最優秀ダートホースに選出されることとなったのである。
実はこの時期まで、サンデーサイレンスは手にしていない勲章があった。ゴールドアリュールのほか、名古屋優駿を制したチアズサイレンス、ダービーグランプリを勝ったイシノサンデーなどダート馬も何頭か輩出していたのだが、いずれも交流競走での実績、JRAのダート重賞は未勝利だったのだ。
ゴールドアリュールはその壁を、GIで打ち破ってみせる。2003年・第20回フェブラリーSでのことだ。中山1800mを力強く先行したゴールドアリュールは、東京大賞典2着のビワシンセイキやジャパンCダート勝ち馬イーグルカフェらをねじ伏せて見事に勝利、自身と父に新たな栄光をもたらしたのである。
さらにゴールドアリュールは種牡馬となり、産駒エスポワールシチーがジャパンCダートとフェブラリーSを制覇。もともと米クラシックで活躍したサンデーサイレンスの中に潜む“ダート向きの血”を、しっかり後世へ伝える存在として輝きを放ち続けている。