アグネスタキオン 断念したタイトルは父として勝つ

アグネスタキオン
Photo by Japan Racing Association

ストーリー

故障によるスターホースの予期せぬ引退は、ファンや関係者に大きな落胆をもたらすのが常である。しかしそんな馬が、第2の人生(馬生)で大成功を収め、再びファンに感動や喜びを与えることも少なくない。今や名種牡馬として確固たる地位を築いたアグネスタキオンも、「早すぎる引退」から種牡馬に転身、大成功を収めた1頭だ。

父サンデーサイレンス、そして母は桜花賞馬・アグネスフローラという血を受け継いだアグネスタキオンは、00年12月の阪神芝2000m新馬戦でデビュー。その年のダービー馬・アグネスフライトの半弟として注目される存在だったが、同じくダービー馬・フサイチコンコルドの半弟ボーンキングなどに続く3番人気の評価に留まっていた。

しかしレースでは、中団から徐々に進出すると、当時の3歳馬(旧表記)としては驚異的な上がり33秒8の末脚を発揮。デビュー戦からその素質の高さを見せ、2着リブロードキャストに3馬身半差の快勝を収めた。

続く2戦目は、デビューと同じ舞台のラジオたんぱ杯3歳S。後のダート王・クロフネが単勝1.4倍、アグネスタキオンは翌年にダービーを制するジャングルポケットとほぼ横並びの2番人気という、振り返れば「超豪華メンバー」の一戦となったが、ここでも持ち前の爆発力を存分に発揮する。直線入り口でクロフネの外から先頭に立つと、上がりを11秒2−11秒4でまとめ、中団から追うジャングルポケットに2馬身半差、クロフネにはさらに1馬身4分の1。超ハイレベルの戦いの中で、この馬の能力を改めて証明して見せた。

その後ひと息入れたアグネスタキオンは、年明け初戦に皐月賞と同じ舞台、中山2000mの弥生賞を選択する。この日は昼までの雨であいにくの不良馬場。爆発的な末脚で連勝してきたアグネスタキオンには、不向きな条件とも思われた。しかしそんな道悪もなんのその、2着ボーンキングに5馬身差、後の菊花賞馬・マンハッタンカフェも4着に下して3連勝。ラスト1ハロンに14秒0も要するタフな馬場を克服し、堂々の主役として皐月賞へと駒を進めていった。

迎えた皐月賞は断然人気。2番人気のジャングルポケットは前々走で破った相手、そして3番人気は大きく離れて16.8倍のダンツフレーム。快進撃を続けるアグネスタキオンに敵はいない、との下馬評だった。レースもそんな期待に違わぬ強さで、好位から不利を受けない外に出して先頭へ。ダンツフレーム、ジャングルポケットも坂下で一度は迫ったが、余力十分にこの追撃を抑え優勝。無傷の4連勝を飾り、日本ダービー兄弟制覇へと大きく期待が広がったのだった。

だが、ファンはその舞台でも、そして秋の淀でもアグネスタキオンの姿を見ることはなかった。日本ダービーを前に屈腱炎を発症、そのまま引退してしまったのだ。後のダービー馬や菊花賞馬を問題としなかった強さから「幻の三冠馬」と評し、引退を惜しむ声が多かったのも無理からぬことだろう。

しかし、種牡馬としてダイワスカーレットを輩出するなど大成功を収めたアグネスタキオンは、08年にキャプテントゥーレで皐月賞父子制覇。さらにはディープスカイが、自らが為し得なかった日本ダービー優勝と「産駒二冠」を達成。残る菊花賞で「三冠」を成し遂げる日も、遠からずやってくるに違いない。

基本情報

性別
出生年月日 1998年4月13日
毛色 栗毛
サンデーサイレンス
アグネスフローラ
競走成績 4戦4勝
獲得賞金 2億2208万2000円
表彰歴 なし
主な勝鞍 2001年 皐月賞 G1
2001年 弥生賞 G2
2000年 ラジオたんぱ杯3歳ステークス G3
厩舎 長浜博之(栗東)
生産者/産地 社台ファーム (千歳市)
馬主 勝負服 渡辺孝男

競走成績

開催日 レース名 開催場 騎手 コース 着順 1(2)着馬
2001/4/15 皐月賞(G1) 中山 河内洋 芝2000 1 (ダンツフレーム)
2001/3/4 弥生賞(G2) 中山 河内洋 芝2000 1 (ボーンキング)
2000/12/23 ラジオたんぱ杯3歳ステークス(G3) 阪神 河内洋 芝2000 1 (ジャングルポケット)
2000/12/2 新馬戦 阪神 河内洋 芝2000 1 (リブロードキャスト)
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