ストーリー
1993年に桜花賞とオークスの二冠を達成した名牝ベガは、繁殖に入ると大種牡馬サンデーサイレンスと交配され、日本ダービー馬アドマイヤベガ、デビュー3戦目でセントライト記念を制したアドマイヤボス、2頭の素質馬を相次いで送り出した。
当然、3頭目のアドマイヤドンにも大きな期待が寄せられた。父はティンバーカントリーに代わったものの、結果としてこの三男坊がもっとも大きな仕事をやり遂げたといえるだろう。
2001年10月、京都で迎えたデビュー。アドマイヤドンはダート1400m戦で2着を8馬身も引きちぎって初戦を勝利で飾る。芝に替わっても強さはそのまま、2戦目の京都2歳Sでは4馬身差の圧勝だ。
そして3戦目、第53回朝日杯フューチュリティS。ここでも早め進出からライバルたちをねじ伏せて、アドマイヤドンは2歳王者の座に就いたのだった。
ただ、3歳春から秋にかけては、アドマイヤドンにとって苦難のシーズンとなった。
若葉Sでは僅差3着に食い込んだものの、皐月賞は7着、日本ダービーは6着。札幌記念4着をステップに臨んだ菊花賞でも4着と敗れてしまった。
大敗するわけではない。常に勝ち馬から1秒差以内と好走し、見せ場も作った。が、勝利へはいま一歩届かない。同世代の主役としての地位は、ノーリーズンやタニノギムレット、ヒシミラクルらに明け渡し、王者のプライドも薄れていく。
そんなアドマイヤドンに転機が訪れた。菊花賞からわずか2週間後、盛岡でおこなわれた交流重賞・JBCクラシックへの出走だ。ここでアドマイヤドンは、1番人気プリエミネンスを7馬身も突き放す豪快な勝利で久しぶりの美酒を味わう。それは、芝・ダート双方でGIを制するという、偉業が達成された瞬間でもあった。
以後、アドマイヤドンはダートを主戦場として東へ西へ、北へ、そして海外へ、大活躍を見せることとなる。
4歳秋、エルムSは59kgを背負いながら9馬身差の圧勝、盛岡のマイルCS南部杯では4馬身差の1着となり、大井のJBCクラシックでは3馬身差で連覇を果たした。
5歳時には、サイレントディールとの叩き合いを制してフェブラリーSを勝利し、ドバイ・ワールドCにも挑んだ(8着)。帰国初戦の帝王賞ではナイキアディライトをハナ差降して優勝し、秋のJBCクラシックでは3連覇のゴールを駆け抜ける。
悲願だったJCダートの1着は手に入れられなかったものの、GI通算7勝、JRA賞最優秀2歳牡馬と最優秀ダートホースのタイトルを獲得し、さらにはNARグランプリ特別表彰馬ともなったアドマイヤドン。
紛れもなく、2頭の兄以上に大きな仕事をやり遂げた存在である。