ストーリー
G1レース9勝のアーモンドアイは実績的に史上最強の牝馬と呼べるが、ピーク時の強さ(レーティング)ならリスグラシューも引けを取らない。父ハーツクライ、母リリサイド(母の父アメリカンポスト)から2014年に北海道・安平町のノーザンファームで生まれ、幼虫が美しい蝶へ姿を変えるかの如く、若き日のもどかしい姿から世界的名牝へと飛躍した。
リスグラシューは、デビュー2戦目を阪神競馬場・芝1800mの2歳レコードで勝ち上がり、次戦のアルテミスSで重賞初制覇と早くから素質の高さを見せていたものの、続く阪神ジュベナイルフィリーズから3歳の桜花賞、オークス、秋華賞とG1レース4戦では2着が3回。そのうち5着のオークスを含め3戦で出遅れ、古馬初対戦のエリザベス女王杯も8着に終わるなど、若き日々は能力だけで結果を出している状態だった。
明けて4歳初戦はアルテミスSと同舞台の東京新聞杯で久々の白星を挙げ、マイル路線に腰を据えるもヴィクトリアマイルではハナ差の2着に惜敗。G1で初めて牡馬に挑んだ安田記念は8着と完敗した。しかし、秋は距離を延ばしてエリザベス女王杯に再挑戦すると、逃げ切り態勢のクロコスミアを目の覚めるような末脚で差し切り待望のG1初制覇。大きな壁を突破したリスグラシューは次戦で香港ヴァーズに遠征し、外国勢を相手にクビ差の2着と確かな成長を示す。
リスグラシューは5歳となって香港へ再遠征し、クイーンエリザベス2世Cで3着に惜敗したが、帰国して宝塚記念に挑むと2番手から3馬身抜け出す完勝。差し届かず甘さを見せていた過去から驚きの変身を遂げる。しかし、これは兆しに過ぎなかった。その勝利によってコックスプレートの優先出走権を得ると、オーストラリアに遠征。鋭くも豪快な捲り差しで173mしかないムーニーバレー競馬場の直線を突き抜け、豪州屈指の大レースを日本調教馬として初めて制す快挙を成し遂げた。
そして、2か月後の有馬記念を引退レースとすると、中団のラチ沿いから直線では外に持ち出され、鞍上のD.レーン騎手が1回もステッキを振らずに5馬身抜け出す圧巻のパフォーマンスで有終の美。牝馬として初の春秋グランプリ制覇を達成するとともに、国内で行われたG1史上最高となるレーティング126(牝馬は4ポンド増で実質130)を獲得し、年度代表馬に輝いて競走生活を締めくくった。