ストーリー
産駒デビューから数多くの活躍馬を輩出するディープインパクト。特に2世代目の活躍はめざましく、ジェンティルドンナは牝馬三冠を達成。そしてもう1頭、この世代を代表する活躍馬が、産駒初の日本ダービー制覇を成し遂げたディープブリランテだった。
ディープブリランテは09年、パカパカファームからセレクトセール当歳市場に上場され、3255万円で落札。近親にはバブルガムフェローやザッツザプレンティの名前も見られるが、多くの素質馬、良血馬が上場されるセレクトセールの中では、いわゆる「高額馬」に数えられる1頭ではなかった。
しかしディープブリランテはデビューを迎えると、その初戦から素晴らしい走りを披露する。11年10月1日、阪神芝1800mの新馬戦はやや出遅れて中団からの競馬になったが、楽な手応えのまま4コーナーで先行グループの外まで進出。直線は馬なりで先頭に立ち、残り200mから軽く気合いをつけた程度で2着に5馬身差の圧勝を飾ったのだ。
この勝利で、続く東京スポーツ杯2歳Sでも1番人気に推されたディープブリランテは、今度はほぼ互角のスタートから2番手を追走。道中はかなり行きたがる素振りを見せたものの、4コーナー先頭から楽に3馬身差をつける快勝劇で、クラシックの有力候補へと浮上した。
しかし翌12年、ディープブリランテは3連敗を喫してしまう。2月の共同通信杯は先手を取って上がり33秒9でまとめながら、ゴールドシップに差され初の敗戦。そしてスプリングSは直線坂下で一気に抜け出したが、そこから内にもたれてグランデッツァの2着に敗退してしまう。さらに、クラシック第1弾・皐月賞は荒れた内を避けて馬場の中央から抜け出しをはかったものの、ゴールドシップにうまく内をすくわれ、さらに外からワールドエースにも差されて3着。後方待機馬が1、2着を占める中で前々から粘りを見せたとはいえ、この馬に対する2歳時の期待度からすれば、少々物足りない走りが続いてしまったことも確かだった。
そんな中で迎えた日本ダービー。5枠10番からスタートを切ったディープブリランテはクビを上げ折り合いを欠きかけたが、1コーナーまでに内にもぐり込んで3〜4番手を追走。向正面から前2頭が後続を大きく離す展開の中、馬群の前方で折り合ってレースを進めた。そして4コーナー手前から前を目標に早くもスパート。坂上でトーセンホマレボシを捕らえて先頭に立った。ところが、ここでディープブリランテも脚が止まり、その後方からフェノーメノが急襲。内外馬体を離した2頭による僅差の勝負となり、写真判定の末、ハナ差で栄冠を勝ち取ったのはディープブリランテだった。
こうして史上7組目の日本ダービー父子制覇を達成したディープブリランテ。続く英国遠征・キングジョージ6世&クイーンエリザベスSで8着に敗退すると、菊花賞前に脚部不安を発症しターフを去ることとなった。しかし種牡馬としての期待も非常に大きく、その産駒には日本ダービー父子3代制覇、そして自身や父がなし得なかった海外G1制覇の夢がかけられている。