ストーリー
2歳の夏から6歳秋までタフに走り続けたディアドラ。父ハービンジャー、母ライツェント(母の父スペシャルウィーク)の間に北海道・安平町のノーザンファームで2014年に生まれた牝馬は、日本調教馬として史上最多の8か国でレースを経験することになった。
キャリア終盤は世界を股に掛けて活躍することになるディアドラだが、そうしたタフネスはデビュー当初から発揮されていた。2歳夏の初陣から3戦目の秋に勝ち上がったディアドラは、2勝目を挙げられないままアネモネSの2着で得た権利により桜花賞出走を果たす。そこで6着に敗れると1か月後の矢車賞で2勝目を挙げるが、この時点でキャリアは10戦目に達した。さらに中1週で挑んだオークスは4着。クラシックは2戦とも滑り込み出走で結果を出せなかった一方、いずれも上がり最速で着順以上に濃い内容を残していた。
そして、その素質は時を置かず開花を迎える。オークス後に夏の札幌から再始動したディアドラは、1000万下(現2勝クラス)勝ちから紫苑Sに臨んで重賞初制覇。3番人気の評価を受けた秋華賞では後方から巧みなコース取りで突き抜け、3連勝で一気に世代をリードする立場に出世を果たした。続くエリザベス女王杯は精彩を欠き、生涯唯一の2桁着順に惨敗するも、立て直した明け4歳は京都記念から初の海外遠征に出ると、ドバイターフでリアルスティールと3着を分け合い、牡馬の一線級とも遜色ない地力を示す。
帰国後はデビューしてから最長となる4か月の休養を挟み、復帰戦のクイーンSを後方からひと捲りで圧勝。続く府中牝馬Sも上がり3ハロン32秒3のキレ味で連勝し、牝馬限定戦では一枚上の実力を証明する。その後は前年に大敗したエリザベス女王杯ではなく香港Cで二度目の海外遠征を選択。1馬身差の2着で勝利こそならなかったものの、あらためて海外への対応力を発揮してみせた。
こうした経験と結果が5歳以降のディアドラに大きな転機を与えた。5歳初戦の中山記念を日本で最後のレースとし、次戦のドバイターフから香港のクイーンエリザベス2世C経由で英国へ渡ると、現地に約1年半も長期滞在して欧州や中東の各国を転戦。滞在2戦目のナッソーSでは日本調教馬として19年ぶり2頭目となる英国G1制覇の快挙を成し遂げた。さらに英チャンピオンSで3着に好走するなど英国を拠点に計10戦。8か国目のバーレーンで現役生活に終止符を打ち、アイルランドで繁殖入りした。