ストーリー
父ディープインパクト、母ドナブリーニ(その父ベルトリーニ)との間に北海道・安平町のノーザンファームで生まれ、イタリア語で「貴婦人」と名づけられたジェンティルドンナ。2 世代目の産駒として父に並ぶG1レース7勝を記録し、種牡馬ディープインパクトの成功を決定づける孝行娘となった。
2歳暮れの2戦目に勝ち上がったジェンティルドンナは、明け3歳初戦のシンザン記念で牡馬を相手に重賞初制覇。これが三冠制覇への鍵となった。1か月後に熱発して調整が狂い、チューリップ賞は4着で桜花賞の優先出走権を逃すも、シンザン記念で加算した賞金のおかげで本番出走を果たし、ヴィルシーナを差し切る快勝で牝馬三冠への道を開いた。
桜花賞のジェンティルドンナは2番人気、ヴィルシーナは4番人気(1番人気は2歳女王ジョワドヴィーヴル)という関係だったが、オークスではヴィルシーナが2番人気、ジェンティルドンナは3番人気と評価が逆転した。母が英国のスプリントG1馬であることに加え、全姉ドナウブルーもマイラーで距離延長を不安視されたものだが、それをあざ笑うかのように、従来のレースレコードを1秒7も更新する5馬身差の圧勝で二冠目を手にした。
そして、秋華賞ではヴィルシーナが意地の抵抗を試みたが、ジェンティルドンナがハナ差ねじ伏せて勝利を収め、秋華賞創設後では3頭目となる牝馬三冠を達成した。さらに、ジェンティルドンナはジャパンCで1歳上の牡馬クラシック三冠馬オルフェーヴルを叩き合いの末に下し、3歳牝馬として史上初制覇。この勝利が決め手となって年度代表馬に輝いた。
4か月の休養を経たジェンティルドンナは、4歳初戦のドバイシーマクラシック遠征から帰国初戦の宝塚記念、さらに天皇賞(秋)と間隔を空けつつ勝ち切れないレースを続けた。しかし、中3週のジャパンCでは決め手鋭く接戦を制して史上初の連覇達成。
翌年は京都記念からドバイシーマクラシックに臨み、直線で進路がふさがり万事休すの状況から抜け出す勝負根性で1年前の雪辱に成功した。その後は前年と似たような臨戦でジャパンCの3連覇に挑むも4着に敗れてしまう。その内容を受けて陣営は引退プランを撤回。有馬記念で実力の再証明を期すと、ジェンティルドンナも渾身の走りで花道を飾り、牝馬として史上最高(当時)の総賞金13億2621万円とともに現役に別れを告げた。