ストーリー
アストンマーチャンの父はアドマイヤコジーン。1998年の2歳チャンピオンに輝きながら、その後は骨折による休養や長きスランプを味わい、だが6歳となった2002年に安田記念を勝った“復活の馬”である。
その父コジーンは、米ブリーダーズCマイルをレコードで制した快速馬。またアストンマーチャンの母ラスリングカプスは芝1200m戦で初勝利、ダート1000m戦で2勝という、スピード&パワー兼備の馬だった。
そんな血統を持つアストンマーチャンは、まさにその通り、スピードとパワーと復活の戦績を残していくことになる。
2006年の夏、小倉で迎えたデビュー戦はわずかにクビ差敗れての2着となるが、続く未勝利戦で2番手追走から逃げ馬を競り落として初勝利をマーク。小倉2歳Sでは早め先頭から後続を突き放すという強いレースぶりで小倉女王の座をつかんでみせた。まずは順調な滑り出しであった。
さらにアストンマーチャンの進撃は続く。
3番人気で出走したファンタジーSは会心の一戦だった。好位追走から力強く抜け出すと、2番人気イクスキューズを5馬身突き放し、1番人気ハロースピードをその1馬身半後ろに沈めての圧勝。レコードタイムも叩き出し、ヒロイン候補として脚光を浴びることになる。
断然の1番人気に推された阪神ジュベナイルフィリーズでは牝馬離れしたウオッカの末脚に屈して2着に敗れた、その差はクビという大接戦。3着ルミナスハーバーには3馬身半の差をつけており、あらためて地力の高さを見せつけたといえるだろう。
そして3歳初戦、桜花賞トライアルの報知杯フィリーズレビューでは単勝オッズ1.1倍の断然人気に応えて2馬身半差の快勝を飾る。アストンマーチャンは、ウオッカ、ダイワスカーレットと並び、桜花賞戦線の“3強”と称されるまでになったのである。
桜花賞はイレコミが響いたか、2番手追走から伸び切れず7着。休養を挟み、1番人気での出走となった北九州記念でも6着と敗退する。アストンマーチャンに対し「早熟のスピード馬だった」との見解も聴こえ始めるようになった。
そんな中で迎えたスプリンターズS。強い雨がターフを濡らし、馬場は不良。馬力を要するこの悪コンディションで、アストンマーチャンの持ち味が遺憾なく発揮される。
セントウルSの圧勝から1番人気に支持されていたサンアディユを強引に押さえつけるようにして、ハナを切るアストンマーチャン。馬場状態を考えれば前半3ハロン33秒1のラップは恐ろしく速いものだったが、直線でもアストンマーチャンは粘りに粘る。結局、サンアディユを4分の3馬身振り切っての先頭ゴールだ。
まさしくスピードとパワーで、復活の瞬間をつかみ取ったのである。