ストーリー
父キングカメハメハ、母マダムチェロキー(母の父チェロキーラン)の間に北海道・浦河町の市川ファームで2009年に生まれたホッコータルマエ。2010年の北海道セレクションセール1歳で1575万円に落札されると、ドバイWCに3年連続で遠征するなどタフネスを武器にダート戦線で頂点を極めた。
明け3歳の1月に迎えたホッコータルマエのデビュー戦は単勝107.7倍の11番人気。結果は11着という厳しい船出となった。しかし、2戦目は見違える内容で勝ち上がってみせる。
新馬戦から半年後には古馬混合の条件戦で3勝目。次戦のジャパンダートダービーで重賞に初挑戦し、続くレパードSで初タイトルを手にする。その後、11月のみやこSから再始動すると古馬に一歩及ばない結果が続いたものの、5歳のフェブラリーSまでの14か月で16戦し、いずれも3着以内とタフかつ堅実無比に活躍。明け4歳から怒とうの快進撃を始めた。
4歳2月の佐賀記念で2度目の重賞制覇を飾ったホッコータルマエは、5月のかしわ記念でG1級(Jpn1)初勝利を挙げ、6月の帝王賞も制してダートのトップホースへ出世。かしわ記念以降はG1級のみに出走し、引退まで最高峰で戦い続けることなる。秋の復帰からはJBCクラシックと東京大賞典、5歳初戦の川崎記念で3勝。中央G1制覇の宿題を残すことになったものの、一足飛びにドバイWCで世界へ挑んだ。
ところが、未経験のオールウェザー(AW)走路の影響もあったためか、生涯最悪の16着に大敗。レース後にはストレス性の腸炎を発症し、現地で入院加療の事態に見舞われる。復帰には7か月を要したが、叩き2戦目のチャンピオンズCで待望の中央G1制覇を飾り復活。この年のJRA賞で最優秀ダートホースを受賞する。さらに東京大賞典と川崎記念をそれぞれ連覇して再びドバイWCへ挑戦すると、AWからダートに変わった走路で5着に粘り前年のイメージを払しょくした。
帰国初戦では帝王賞を2年ぶりに制覇。若い力の台頭もあり秋は3連敗に終わったものの、7歳初戦の川崎記念で3連覇を果たすと同時に史上最多(当時)のG1級10勝を達成し、これが最後の勝利となった。その後もドバイWCに3年連続で参戦するなど元気な姿を見せていたが、チャンピオンズCの直前に脚部不安を発症して種牡馬入りした。