ストーリー
2003年夏のデビューから、メイショウボーラーは華々しい道を歩んだ。
2馬身半差で逃げ切った新馬戦、同じく2着に2馬身半差をつけ、3着はさらに9馬身後ろという完勝のフェニックス賞、そしてコスモサンビームを5馬身も突き放した小倉2歳Sと、小倉で3連勝をマーク。京都ではデイリー杯2歳Sを2馬身差で制してみせた。暮れの大一番・朝日杯フューチュリティSではコスモサンビームにクビ差屈したものの、まずは快調に2歳シーズンを駆け抜けたといえるだろう。
3歳春になっても、メイショウボーラーは常にレースの中心にいた。弥生賞ではコスモバルクのマークにあいながら逃げて2着に粘り、皐月賞ではダイワメジャー、NHKマイルCではキングカメハメハ、いずれも競馬史に残る名馬の3着。世代屈指のスピード能力を持つことを、メイショウボーラーは走るたびに実証し続けたのである。
だが、振り返ればGIタイトルはゼロ。その後もメイショウボーラーは苦戦を繰り返すことになる。3歳の身で果敢に挑んだ安田記念は11着に終わり、秋初戦のスワンSは3着。マイルCSではデュランダルの豪快な追い込みの前に7着と敗れ、3歳最終戦のCBCも4着と人気を裏切る。抜群のスピードを誇りながら、どうしても最後の決め手勝負で遅れを取る。それがメイショウボーラーの姿として定着していったのである。
ここで陣営は、ダート転向という大幅な路線転換を図る。メイショウボーラーの父はユニコーンSを勝つなどダートでも強さを見せたタイキシャトル、母の父Storm Catはダートの本場・北米でリーディングサイアーとなった種牡馬だ。スピードとパワーがギッシリと詰まったメイショウボーラーの血の中には、確かに“砂への適性”が眠っていたのだろう。このチャレンジは、ふたたびメイショウボーラーが輝く契機となるのだった。
まず4歳初戦のガーネットSは3馬身差の快勝。続く根岸Sでは自らラップを刻み、上がり3ハロンもメンバー中最速という完璧な走りで7馬身差の圧勝を遂げる。こうして勢いに乗って、メイショウボーラーは頂上決戦・フェブラリーSへと駒を進めたのだ。
相手は、前年の覇者アドマイヤドン、マイルCS南部杯の勝ち馬ユートピア、JCダートや川崎記念を制したタイムパラドックスといった面々。すでにダートで超一流の実績を積み上げてきた強豪たちを、メイショウボーラーはスピードとパワーで一蹴してみせる。
ハナを切り、1000m通過57秒8という軽快なラップで飛ばし、直線でもしっかりと脚を伸ばすメイショウボーラー。結局2着シーキングザダイヤに1馬身4分の1差をつける逃げ切り勝ちだ。悲願のGI初制覇を果たすとともに、1分34秒7のレコードタイムも叩き出して、そのスピードとパワーが超一流であることをあらためて示したのであった。