ストーリー
「G1を勝つ力がある」ことが、実際に「G1を勝つ」ことには直結しないのが競馬の世界。特に同世代に強敵が存在すると、「相手が悪かった」では片付けられない悔しい敗戦が続くことになる。メイショウドトウは、テイエムオペラオーという強敵に何度となく挑戦をはね返されながら、ついにG1タイトルを手にした馬だった。
メイショウドトウのデビューは3歳(現表記)を迎えた99年の1月。この年は重賞出走こそならなかったものの、11戦4勝と順調に勝利を重ねてオープン入りを果たした。
翌00年は日経新春杯で2着に好走すると、続く中京記念は好位から楽々と抜け出して3馬身差をつけて重賞初制覇。さらに日経賞3着、オープン1着を経て、金鯱賞で2つ目の重賞タイトルを手中にする。これで年明け5戦3勝、重賞2勝。上り調子で宝塚記念へと駒を進め、そしてテイエムオペラオーと初めて相まみえることになる。
宝塚記念は、前走の天皇賞(春)で2つ目のG1勝ちを挙げたテイエムオペラオーが断然人気。しかし勝負どころの手応えが悪く、2番手につけたメイショウドトウにチャンスが訪れたかと思われた。ところが、直線に向くと外からテイエムオペラオーもじわじわと脚を伸ばし、間にジョービッグバンを挟んで3頭の激しい叩き合いに。最後は半馬身突き放され惜しい星を落としたものの、G1初挑戦としては大健闘の2着だった。
この好内容ならいつか勝機は訪れる、そう考えたファンも多かったことだろう。しかし、メイショウドトウは秋もテイエムオペラオー相手に悔しい敗戦を続けることになる。天皇賞(秋)では残り200mで外から一気に差しきられ、ジャパンCはファンタスティックライトも交えた3頭の接戦で僅かに遅れを取った。さらに有馬記念は、クビの上げ下げにまで持ち込んだもののハナ差の2着。宝塚記念の「大健闘」から、いつしかテイエムオペラオーが「超えられない壁」となっていた。
再挑戦の舞台は翌年の天皇賞(春)。過去の4連敗から一転、今度はテイエムオペラオーの後ろからレースを進めたメイショウドトウだったが、追えども届かぬ半馬身差。戦法を変えても結果は同じ、逆転の目は残されていないかと思わせる一戦となってしまった。
そんな中で行われた宝塚記念。メイショウドトウは前年の6番人気から2番人気となったものの、あくまで「2番目」に過ぎなかった。ところが、テイエムオペラオーは前年同様に勝負どころでの反応が悪く、メイショウドトウは前年以上に積極的なレース運びから直線坂下で先頭へ。最後は差を詰められたものの、初挑戦からちょうど1年にして念願のG1タイトル獲得、そしてテイエムオペラオー撃破を成し遂げたのだ。
「壁」を超えられなかった馬にもドラマはある。しかし、競馬史に名を残せるのは壁を乗り越えたものたちだ。6度の挑戦でついに壁を打ち破ったメイショウドトウは、記憶に残る名馬から、記録にも名を刻む名馬となった。