ストーリー
気難しく扱いに苦労する馬のほうが、得てして実戦ではよく走るものだ。ダイワメジャーが、まさにそうだった。
父はサンデーサイレンス、母は重賞4勝のスカーレットブーケ、姉も重賞勝ちのあるダイワルージュと、文句なしの良血といえるダイワメジャー。当然、周囲からかけられた期待は高かった。が、ゲート入り練習を嫌って頑として動かない気の悪さを見せていた。2歳12月のデビュー戦では、パドックでゴロリと寝転がってファンの失笑を買った。まれに見る“きかん坊”だ。
それでもスプリングSで3着に粘って皐月賞の出走権を勝ち取ると、これがダイワメジャーにとって大きな契機となる。10番人気の低評価で迎えた2004年・第64回皐月賞。スンナリと先行したダイワメジャーは、持ち前のスピード能力を遺憾なく発揮して勝利。レコードにコンマ1秒と迫る好タイムで、見事クラシックウィナーの座を射止めたのである。
不思議なことに、体質に難のある馬ほど大いなる素質を秘めていることが多い。この例もダイワメジャーには当てはまる。
皐月賞以後の成績は、日本ダービー6着、オールカマー9着、秋の天皇賞は17着。原因は喘鳴(ぜんめい)症、いわゆるノド鳴りとされた。気道が狭まって十分に呼吸できず、それが競走能力に影響を及ぼしていたのだ。
陣営は“手術”という手段に踏み切り、これが功を奏することになる。復帰初戦のダービー卿チャレンジトロフィーを快勝すると、その年の秋にはマイルCSでハナ差の2着と健闘。5歳になるとさらに上昇し、春はマイラーズC優勝、秋は天皇賞、マイルCSとGI連覇を果たし、距離不向きと思われた有馬記念でも3着と頑張った。翌2007年、初の海外遠征となったドバイデューティーフリーでも外々を回らされながら3着に踏ん張り、帰国初戦の安田記念では好位抜け出しで4つ目のGIタイトルを獲得したのである。
その後、ダイワメジャーは栄光から遠ざかる。大幅に馬体重を減らして挑んだ宝塚記念では、先行することすらできず12着と大敗。秋になって断然人気の毎日王冠で3着と敗れ、天皇賞では不利もあって9着にとどまった。チャンピオンの座を明け渡すのも時間の問題と思われた。
しかし、そこで終わらないのが名馬の証し。マイルCSでは堂々先行、早めの仕掛けでスーパーホーネットの猛追を振り切り、ダイワメジャーはこのレース連覇を成し遂げる。さらにダイワスカーレットとの兄妹(きょうだい)対決に沸いた有馬記念でも3着。地力の高さをあらためて示すとともに、2着となった妹に今後を託すかのような、鮮やかなラストランを完遂したのだった。
ダイワメジャーの競走生活。それは、ノド鳴りのきかん坊が押しも押されもせぬ名マイラー・名中距離馬としての地位を築き上げた道のりだったといえるだろう。