ストーリー
強い、けれどもライバルが手も足も出ないほどではない。G1を4勝、そして2年連続年度代表馬と実績や看板には文句のつけようがないシンボリクリスエスだが、現役時にはこんな印象を抱いていた人も多いことだろう。
シンボリクリスエスのデビューは3歳秋。新馬戦こそ見事勝利を手にしたものの、短期休養を挟んで500万条件では2、3、3着。5戦目の山吹賞を勝ち、続く青葉賞では初重賞制覇を飾ったが、日本ダービーではタニノギムレットの強さばかりが目立つ競馬の前に2着に敗れていた。
しかし、秋になると本格化。神戸新聞杯を制すると、菊花賞ではなく秋の天皇賞に駒を進め、ナリタトップロード以下古馬勢を下して優勝。ジャパンCでは外国馬2頭の後塵を拝したが、有馬記念では再び古馬を下し3歳にして古馬相手のG1・2勝。この年の年度代表馬に選出されたのだ。
こうして年度代表馬となったシンボリクリスエスだが、「すっきりしない」感もあったのは事実だった。その理由のひとつは、ダービーで完敗を喫したタニノギムレットが故障で引退し、再戦のチャンスが与えられなかったこと。もうひとつは、ジャパンCで先着を許した外国馬が9、11番人気と、1番人気に推されたシンボリクリスエスからすれば「取りこぼし」の一戦だったためだ。
そんな印象に拍車をかけたのが、休養明けで挑んだ宝塚記念で、早めに動いた競馬が祟ってヒシミラクルの5着に敗退。さらに、秋を迎え天皇賞(秋)は見事に連覇を達成したものの、ジャパンCではタップダンスシチーが2着に9馬身もの差をつける逃げ切り勝ちを収め、本馬は3着に敗れてしまった。
「やっぱり強いか?」と思わせておきながら、次のレースで「いやいや、それほどでも」。デビューから僅か2年でG1・3勝の実績は十分でも、「最強馬」の称号を得るには一歩足りない競馬が続いたのだ。
そんなシンボリクリスエスの引退レースとなったのが、03年の有馬記念だった。好位でレースを進めたシンボリクリスエスは、3コーナーで各馬がスパートすると、直後から楽な手応えでこれらを追走。4コーナー手前で先頭に立ったリンカーンを直線入り口であっさり競り落とすと、後は後続との差を開くばかり。「これまでの物足りなさはなんだったんだ!」という9馬身差の完勝劇で、見事に有馬記念を連覇。史上4頭目となる2年連続年度代表馬の座も確かなものとした。
これほどの走りを見せられ、引退を惜しむ声も多く上がったが、予定通りシンボリクリスエスはここで引退、種牡馬入り。産駒は07年にデビューしたが、08年春の段階では重賞こそ勝てても超一流にはなりきれない馬が目立っている。しかし、思い返せば本馬のデビュー当初もこれは同じ。この先、父に迫る活躍を見せる産駒が必ずや現れるに違いない。