ストーリー
1941年のセントライト、1964年のシンザンに続いて、1983年、ミスターシービーが3頭目の三冠馬となった。
およそ20年に一度の快挙に沸きかえる競馬ファンたち。が、まさか翌1984年に、4頭目の三冠馬が現れるとは誰も想像だにしなかっただろう。しかも、その馬=シンボリルドルフは、これまでにないパーフェクトな戦績で大偉業を達成してみせたのだ。
デビュー4連勝で皐月賞に臨んだシンボリルドルフは、これを勝利。表彰式で鞍上・岡部幸雄騎手は、自信満々に指を1本立てて写真に収まった。「まず一冠」のサインだ。
その自信の通り、シンボリルドルフは日本ダービーを勝ち、岡部騎手の指は2本立てられることになる。秋になっても勢いは止まらず、セントライト記念をレコードタイムで制し、菊花賞も1着。なんと無敗のまま三冠を成し遂げ、岡部騎手は3本の指を天にかざしたのであった。
続くジャパンカップは、古馬との初対戦、菊花賞から中1週の強行軍、伏兵カツラギエースが逃げ切るという意外な展開などがあって3着に敗れたシンボリルドルフだったが、有馬記念ではそのカツラギエースや先輩三冠馬ミスターシービーをレコードタイムで撃破し、早くも最強馬の称号を手に入れる。
4歳初戦は日経賞。意外にも、このレースこそシンボリルドルフの強さをもっとも感じ取れる一戦だとする者は多い。
スタート後、チラリと左右に目をやったシンボリルドルフは、AJC杯勝ち馬サクラガイセン、ステイヤーズSのカネクロシオ、ダイヤモンドS1着馬ホッカイペガサスらの姿を確認すると、退屈そうにハナを切る。そこからは一度も先頭を譲らず、4馬身差の圧勝。しかも岡部騎手は手綱を持ったままだ。
シンボリルドルフにとってGIIなど、何もしないままで勝ててしまうレースに過ぎなかったのである。
その後シンボリルドルフは、天皇賞(春)を楽勝。秋には、およそ半年ぶりの実戦、ボロボロの体調で走ったといわれる天皇賞(秋)でギャロップダイナの大駆けにあって2着に敗れたものの、ジャパンカップ、有馬記念と連勝してGI勝ち鞍を7つにまで増やした。
現役最後の1戦は、勇躍アメリカに渡ったその初戦サンルイレイSで、レース中に故障を発症して6着という残念な結果に終わったが、いまなおシンボリルドルフを史上最強馬と信じて疑わないファンは多い。
そして、神聖ローマ帝国の皇帝から取られたルドルフという馬名の通り人間を見下したかのような振る舞いを見せ、岡部騎手いわく「本気で走ったことはほとんどない」……など、シンボリルドルフが他の馬と“違う”ことを示すエピソードも、また多い。
そうシンボリルドルフは、圧倒的な競走成績とパフォーマンスだけでなく、どこか“違う”雰囲気を漂わせた名馬であった。