ストーリー
22戦して4勝。それが2002年・5歳夏を終えた時点でのタップダンスシチーの成績だった。着外はわずかに3度、どんな相手でもそれなりに走る安定感はあったものの、勝ち切る強さには欠けるという印象である。
が、父プレザントタップは5歳になって米G1を2勝した遅咲きのタイプ。タップダンスシチーの陣営も「この馬も5歳でようやくしっかりしてきた」と感じていた。その印象通り、5歳秋からジワリと素質を開花させ始めるのだった。
まずは朝日チャレンジカップで、イブキガバメントとの叩き合いを制する。コースレコードの重賞初制覇だ。京都大賞典3着、アルゼンチン共和国杯3着、京阪杯5着と掲示板を守り続け、暮れの有馬記念では13番人気の低評価を覆してシンボリクリスエスに半馬身差の2着と好走。「中長距離で前に行かせれば、かなり粘る馬」との評価を得るようになっていったのである。
明け6歳・2003年シーズンはタップダンスシチーにとって最高の1年となった。
オープン特別・東京競馬場リニューアル記念を好タイムで勝利し、金鯱賞ではツルマルボーイを完封して重賞2勝目をマーク。宝塚記念では3着と地力強化をアピールしてみせた。秋になっても充実ぶりは衰えず、京都大賞典は余裕の逃げ切り勝ちだ。
そして迎えたのが第23回ジャパンカップである。年度代表馬シンボリクリスエス、二冠馬ネオユニヴァース、3つのGIタイトルを持つフランス代表アンジュガブリエルといった難敵を相手に、タップダンスシチーは重馬場を蹴立てて渾身の逃走を見せる。道悪が得意なわけではないタップダンスシチーだったが、それでも逃げ脚を伸ばす姿こそ、この馬の成長度を示すものだった。
遂には菊花賞馬ザッツザプレンティに9馬身差で1着ゴール。圧倒的な勝利でGI初制覇を果たしたのである。
有馬記念では8着と敗れたが、翌2004年・7歳シーズンもタップダンスシチーはタフに駆け続けた。
金鯱賞はレコードタイムで連覇を達成。宝塚記念では早め先頭から押し切る堂々としたレースで2つ目のGIタイトルをもぎ取る。こうして中長距離路線における有力馬としての地位を確固たるものすると、勢いに乗って凱旋門賞へ遠征、17着と大敗したものの立派なチャレンジング・スピリッツを示した。帰国初戦の有馬記念ではゼンノロブロイの2着となり、さすがは国内屈指の存在というところを見せている。翌2005年・8歳時には金鯱賞3連覇という偉業も成し遂げた。
まさに大器晩成といえるタップダンスシチー。その産駒は早くも2009年に2歳となってデビューの時を迎える。父と同じように、ジリジリと着実に力をつけてゆき、やがては世界を制する、そんな晩成型ヒーローの登場を待ちたいものである。