ストーリー
名手・武豊が跨り、1993年に桜花賞とオークスの二冠を達成したベガ。その名牝が繁殖に上がり、大種牡馬サンデーサイレンスの子を宿したとなれば、注目されないはずはなかった。そうして大きな期待をかけられて1996年に生まれたのがアドマイヤベガだ。
もちろん「優れた競走馬が優れた母になるとは限らない」という意見はあった。母ベガと同じように脚が少し曲がっている点も気がかりとされた。牧場時代のアドマイヤベガはさして目立つ存在でもなかったという。
それでも、母に続いて息子の手綱も取ることになった武騎手は、デビュー前から「この馬で日本ダービーへ」と意識。実際、2歳11月に迎えた新馬戦では、そんな夢を託すに足る圧倒的なパフォーマンスを披露した。中団から先行馬群を引き裂いての差し切り勝ちだ。
ところが、スパートの際に進路を妨害したとして4着に降着。ほろ苦いデビューとなってしまったのだった。
ここで陣営は「あの新馬戦は勝ったものと考える」というプランを敢行する。未勝利戦へ回るのではなく、当初の予定通り500万下のエリカ賞へと向かったのだ。
絶対に落とせないこの一戦を差し切ったアドマイヤベガは、続くラジオたんぱ杯3歳Sも制覇。その年の朝日杯3歳Sで外国産馬・持込み馬のマイラーが上位を独占したこともあり、アドマイヤベガは一躍“クラシック最有力候補”として位置づけられるようになる。
が、ふたたびの躓きが訪れる。まずは圧倒的1番人気で出走した弥生賞をナリタトップロードの2着と取りこぼす。そして皐月賞でも、勝ったテイエムオペラオーとほぼ同じ位置にいながら自慢の末脚は不発に終わり、コンマ6秒差の6着に甘んじる。
母子二代のクラシック制覇は困難なのか。東京競馬場でこそこの馬の瞬発力は生きるのか。またしても期待と不安の両方を背負って、アドマイヤベガはダービーへと駒を進めた。
結果、アドマイヤベガは見事に期待に応えてみせた。
道中は内ラチ沿い、後ろから2〜3頭目、ひたすら折り合いだけに気をつけて追走したアドマイヤベガと武騎手のコンビは、直線に入ると大外に持ち出し、それまで蓄えたパワーを一気に解放するようにスパートする。
中団から抜け出すテイエムオペラオー、これに襲い掛かるナリタトップロード、さらに外から鋭く伸びるアドマイヤベガ。この年の“三強”といわれた素質馬による叩き合いが繰り広げられ、そしてアドマイヤベガは、最後にクビ差だけナリタトップロードをねじ伏せて栄光のゴールを駆け抜ける。
秋は京都新聞杯1着、菊花賞6着を最後に故障のため引退、また胃破裂による急死で種牡馬としても4世代の産駒しか残せなかったアドマイヤベガ。輝いた期間はあまりにも短かったが、その光は良血らしく、どんな馬よりも輝いていたといえるだろう。