ストーリー
三冠馬オルフェーヴルを父、桜花賞馬キョウエイマーチの初仔ヴィートマルシェ(その父フレンチデピュティ)を母に持つマルシュロレーヌ。2016年に北海道・安平町のノーザンファームで生まれたクラシックに縁の血統馬は、5年後にアメリカ競馬の祭典・ブリーダーズカップで日本調教馬として初の米ダートG1制覇という歴史的偉業を成し遂げた。
マルシュロレーヌの競走生活は前半と後半に大きく二分することができる。そして、一見すると遠回りしたようにも感じられる双方の関係が、日本調教馬にとって長年のテーマとなってきたアメリカのダート攻略に一つの解をもたらすことになる。
マルシュロレーヌは3歳2月のデビューから4歳の夏まで芝を主戦場としていた。初勝利は8月の5戦目、それから4歳春までに2勝を追加し、その後は条件馬の身で福島牝馬Sなど重賞にも挑戦。完敗が続いてクラスの壁に当たったかに思われたが、初勝利から1年が経った小倉の3勝クラスでクビ差の2着に好走し、オープン入りの足掛かりをつかんだ。
ところが、このタイミングでダート挑戦という大胆な策が取られる。もともと調教時にダート向きの感触があったという陣営は、状態が良い時にこのチャレンジを決断。マルシュロレーヌも小倉競馬場の短い直線で鮮烈な差し切りを決め、これで歴史の歯車が動きはじめた。
そうして挑戦することになったのが米牝馬ダート戦線の最高峰BCディスタフだった。G1の4勝を含む5連勝中のレトルースカ、その年と前年のケンタッキーオークス馬2頭ら強力な地元勢が迎え撃ち、マルシュロレーヌは現地で9番人気(50.9倍)。しかし、レースでは半マイル通過44秒97の超ハイペースを早めに押し上げる強気な策から粘り込み、ハナ差で衝撃的な勝利を手にする。それは、本場のダートには芝でも通用するスピードが必要という仮説に、マルシュロレーヌが一つの答えを出した瞬間でもあった。
この後、マルシュロレーヌはサウジCに紅一点参戦して6着に終わったものの、前年の覇者ミシュリフやケンタッキーダービー馬マンダルーン、日本のテーオーケインズに先着する奮闘を披露して現役に別れを告げた。