ストーリー
天皇賞(春)連覇に菊花賞勝ちと淀の坂越えで勝負強く活躍したフィエールマン。父ディープインパクト、母リュヌドール(母の父グリーンチューン)はともにG1ホースという恵まれた血筋に生まれるも、走り込めない自身の体質と向き合い続ける競走生活だった。
フィエールマンは3歳1月末のデビューから5歳の有馬記念まで、ほぼ3年に渡るキャリアを歩んだが、その間に合計12戦しかしていない。体質の弱さに悩まされ続け、現役生活を続けるには数か月単位のレース間隔を必要とした。
フィエールマンは新馬戦を出遅れから勝負根性で勝ち上がり、2か月半後の山藤賞も出遅れをものともせず2連勝とした。さらに2か月半を空けたラジオNIKKEI賞ではまたもゲートが遅く、福島競馬場の短い直線で猛追及ばず初黒星。2着で賞金加算はできたため、疲労からの回復も遅れたこともあり菊花賞へ直行することになった。
3か月半という異例のレース間隔で臨んだ菊花賞は初めてゲートが決まり、一気の距離延長でペースが落ち着いてもスムーズに対応。直線では馬群の中から鋭い瞬発力で抜け出すと、エタリオウをハナ差抑え込み、史上最短のデビュー4戦目で菊花賞制覇を成し遂げた。
さらに3か月を空けて4歳はアメリカジョッキークラブカップで始動したフィエールマンは、ラジオNIKKEI賞と同様に先に抜け出した勝ち馬を捕らえ切れず2着に終わる。この2戦を含め、小回りコースの重賞は適性の差で勝ち切れなくなったが、続く天皇賞(春)は広いコースで能力を解き放ち、グローリーヴェイズをクビ差ねじ伏せて2度目のG1制覇を果たした。
その後は凱旋門賞に挑戦し12着に敗れるも、帰国して有馬記念から直行した天皇賞(春)ではスティッフェリオをハナ差捕らえて連覇達成。京都競馬場の長距離G1では菊花賞からハナ差、クビ差、ハナ差と無類の勝負強さを発揮した。
半年の休養から復帰した天皇賞(秋)ではアーモンドアイに半馬身及ばず2着に敗れたものの、上がり最速の32秒7を記録。広々とした東京競馬場で目の覚めるような末脚を披露し、一介のステイヤーではないことを証明する。さらに、自身最短の中7週で臨んだ有馬記念は3着に惜敗したものの、小回りコースで積極策を披露。いよいよ完成の域に達したかと思われたが、年明け早々に右前脚の繋靭帯炎が判明して種牡馬入りすることになった。