ストーリー
2015年に北海道・安平町のノーザンファームで父ハービンジャー、母ツルマルワンピース(母の父キングカメハメハ)から生まれたブラストワンピース。2歳11月に迎えたデビュー戦の体重がキャリア最低の520kgと雄大な馬格を誇った一方、脚元の不安と繊細な体質を抱えながらの競走生活だった。
ブラストワンピースはデビュー前から右前脚の球節が悪く、夏の北海道開催から予定を延期して秋の初陣にこぎ着けた。新馬戦は5番人気と控え目な評価だったが、好位から鋭い末脚を繰り出して快勝すると、疲労の回復を待って2か月半の間隔を空け、3歳初戦のゆりかもめ賞を4馬身差で圧勝。ダービーと同舞台で存在感を高めた。
ここまでは脚元の関係で右回りを避けてきたが、陣営は次戦に阪神競馬場の毎日杯を選択する。皐月賞をパスしてレース間隔を優先する戦略は奏功し、ブラストワンピースはコーナーが大きくワンターンの毎日杯を完勝して重賞初制覇。収得賞金順でのダービー出走を確定させた。しかし、ダービーは直線で包まれるロスが大きく5着。その後は新潟記念から菊花賞を狙う異例の臨戦が取られる。ブラストワンピースは外ラチ近くから豪快に突き抜けて古馬を一蹴し、3歳馬として35年ぶりの新潟記念勝ちを果たしたものの、1番人気で迎えられた菊花賞ではスローペースに泣き4着に終わった。
それでも、上がり勝負の菊花賞は消耗が少なく、むしろ体調を上げて有馬記念に参戦できることになった。ブラストワンピースは唯一の3歳馬で3番人気だったが、先頭で飛ばす2番人気キセキを捕まえに動く一方、1番人気レイデオロの追撃を振り切る堂々のレースぶりで1着。歴戦の古馬を撃破した実績が評価されてJRA賞最優秀3歳牡馬に輝いた。
4歳初戦の大阪杯、続く目黒記念とも期待を裏切る結果になったが、仕切り直しの札幌記念で同期のダービー馬ワグネリアン、菊花賞馬フィエールマンら強豪を抑えて失地回復。当初の予定通り凱旋門賞挑戦が決定した。しかし、日本で体験できないような道悪に見舞われて11着に終わり、ダメージも大きく復帰は年明けまで遅れることになった。
ブラストワンピースはAJC杯で再始動すると格の違いを見せつけるように快勝したが、それ以降はG1で2桁着順を続けるなど精彩を欠き、年末の有馬記念は心房細動で競走中止。幸い大事には至らず、6歳初戦の鳴尾記念で3着と復調の兆しを見せたものの、続く札幌記念後に右前脚が悲鳴をあげて引退した。