ストーリー
初年度産駒から日本ダービー馬ロジユニヴァースを送り出したネオユニヴァース。2009年にデビューした2世代目も期待されたが、中でも早くから脚光を浴びたのがヴィクトワールピサだった。
欧州の重賞戦線で活躍したホワイトウォーターアフェアを母に持ち、兄には安田記念勝ち馬アサクサデンエンがいるヴィクトワールピサ。2歳10月に迎えた新馬戦こそローズキングダムに競り負けて2着に終わったものの、以後は連勝街道を突き進むことになる。
未勝利戦を3馬身半差の圧勝でクリアすると、続く京都2歳Sも好位から難なく抜け出して1着。さらにラジオNIKKEI杯2歳Sでは、コスモファントム、ダノンシャンティ、ヒルノダムールといった難敵が相手、しかもこれまでの先行策とは違って後方からの競馬を強いられながら、鮮やかに差し切ってみせた。クラシック候補の呼び名を確固たるものにした2歳シーズンだった。
続く2010年の3歳シーズンはヴィクトワールピサにとって、栄光、失意、再起が訪れる起伏に富んだ1年となった。
まずは弥生賞を力強く差し切って弾みをつけると、断然の1番人気で第70回皐月賞へと臨む。ここでは後方グループから中団へと押し上げ、そこからさらに鋭く伸びる脚も見せて、ヒルノダムール、エイシンフラッシュ、ローズキングダムらの激しい2着争いを1馬身半突き放してクラシック第一冠を制する。
が、続く第77回日本ダービーはエイシンフラッシュ、ローズキングダムの驚異的な瞬発力に屈して3着。フランス遠征も、ニエル賞が4着、凱旋門賞は7着という結果に終わる。帰国初戦のジャパンカップでは、ブエナビスタとローズキングダムに差されてしまった。
そして有馬記念では、得意とする好位先行策から懸命の粘りを見せ、ブエナビスタの猛追をハナ差振り切っての1着ゴール。復活勝利で波乱の年を締めくくったのだった。
迎えた2011年、4歳シーズン。ヴィクトワールピサはあらためて潜在能力の高さを示し、その成果として世界の頂点に立つ。
壮行レース・中山記念は圧巻の競馬。キャプテントゥーレが軽快に逃げてそのまま粘り切るレースとなったが、ヴィクトワールピサは3コーナー過ぎから素晴らしい加速力を発揮、大外から馬群を飲み込むようにして突き抜け、2馬身半差の完勝を飾る。
勇躍挑んだドバイワールドカップ。ヴィクトワールピサは、レース中盤で一気に後方から進出、そのまま先頭に並びかけ、直線でもさらに加速してトランセンドをねじ伏せるという、真の一流馬にしかできない走りで勝利する。
折しも大震災の直後、悲嘆に暮れる日本に勇気を与えるとともに、世界に対しても「この国は決して負けない、必ず立ち直る」と宣言するかのような、希望の光に満ちたゴールになったのだった。