ストーリー
NHKマイルCと日本ダービーを制した世代最強馬キングカメハメハ、皐月賞馬ダイワメジャー。この2頭がともに天皇賞・秋へと進路を取ったことで、2004年の菊花賞戦線には混迷の影が薄く差すようになった。
主力として期待されたのは、春のクラシックロードで上位を争い、夏も無事に越した馬たち。ダービー2着、神戸新聞杯は3着のハーツクライや、皐月賞2着、セントライト記念レコード勝ちのコスモバルク、ダービー3着、オールカマー4着のハイアーゲーム、青葉賞とセントライト記念で2着となったホオキパウェーブ、ダービー5着、朝日チャレンジC勝利のスズカマンボといった面々である。
もちろん、絶対的な中心馬が不在とあって、デビュー3連勝後の朝日チャレンジCで差のない競馬をしたオペラシチーや、神戸新聞杯2着のケイアイガードなど夏に急上昇を果たした勢力も勝機をにらんでいた。
デルタブルースも、そんな1頭だった。
2歳11月のデビューから6戦目、3歳4月にようやく初勝利をあげたデルタブルース。勇んで青葉賞に挑むも後方ままの13着と苦杯をなめ、500万下はアタマ差の辛勝。春までは、ほとんど目立たない存在といえた。
が、夏場にゆっくりと地力を蓄えたのだろう。9月、1000万下昇級初戦の兵庫特別こそ5着に敗れたものの、2戦目の九十九里特別を快勝。長距離戦をゆったりと先行し、そこから叩き合いに競り勝つスタミナと根性とを武器に、第65回菊花賞へと駒を進めてきたのである。父はダンスインザダーク。自身も菊花賞馬であり、前年の菊花賞を産駒ザッツザプレンティが制していた。その血統的背景もデルタブルースの大きな魅力だった。
ただし単勝オッズは45.1倍。依然としてデルタブルースに注目する人は少なかった。レースでも、逃げるコスモバルク、中団から後方で機を待つハーツクライやハイアーゲームに視線は注がれていたはずだ。
好位5番手を追走していたデルタブルースは、3コーナーから4コーナーにかけてジワリと位置取りを上げていく。いや、鞍上・岩田康誠騎手の手綱は早くも激しく動いていた。だが、もともと切れる脚はなく、スタミナと根性で早めの仕掛けから粘り切るのがデルタブルースのスタイル。その持ち味を生かすための渾身のロングスパートである。
やがて先頭に立ったデルタブルースは、コスモバルクを競り落とし、オペラシチーも振り切り、ホオキパウェーブの差し脚も1馬身4分の1後方に見てゴールする。馬にとっても、いまや中央に移籍してトップジョッキーとなった岩田騎手にとっても初となる、JRAのGI初制覇だ。
その後デルタブルースは、ステイヤーズS勝利などしぶとく駆け続け、豪G1メルボルンC制覇という偉業も成し遂げる。長距離戦での先行力、スタミナ、根性が印象的な名ステイヤーであった。