ストーリー
同厩舎に偉大な「先輩」がいると、なにかにつけて比較されてしまうもの。藤沢和厩舎からデビューしたゼンノロブロイは、ひとつ年上のシンボリクリスエスと常に比較され、そして先輩がなし得なかった偉業を達成した馬だった。
ゼンノロブロイのデビューは03年2月の新馬戦で、2馬身半差の快勝。そして3戦目の山吹賞を制し、重賞初挑戦となった青葉賞も好位追走から抜け出して4戦3勝で日本ダービーに向かった。山吹賞、青葉賞を連勝してのダービー挑戦は、前年に3歳ながら天皇賞(秋)、有馬記念を制したシンボリクリスエスと同じで、この段階で早くも両馬を比較する声が上がっていた。
迎えたダービーは皐月賞1、2着のネオユニヴァース、サクラプレジデントに次ぐ3番人気。予想外の2番手追走から、直線で馬場の中央を伸び一度は先頭の場面。しかし坂上でネオユニヴァースに内から差され、ダービーの結果まで「先輩」と同じ2着となってしまったのだった。
秋の神戸新聞杯快勝までシンボリクリスエスと同じ結果を残したゼンノロブロイだったが、次走には菊花賞を選択して4着。そして「先輩」と最初で最後の対決となった有馬記念は、そのシンボリクリスエスが2着に9馬身差をつける圧勝劇。3着のゼンノロブロイは、この時点では「やはり差がある」という評価。翌春も天皇賞(春)はイングランディーレの大逃げの前に7馬身差完敗の2着、宝塚記念もタップダンスシチーの4着に敗れ、自らその評価が正しいことを証明してしまったかと思われた。
しかし、秋のゼンノロブロイは鮮やかな快進撃を見せることになる。京都大賞典を叩いて出走した天皇賞(秋)は、東京2000mでは不利な外枠、そして出遅れもあって後方追走。しかし、勝負どころからじわじわとポジションを上げてゆくと、直線は横に大きく広がった馬群の中央を切り裂くような一気の伸び。一歩先に抜け出したダンスインザムードを残り100mで捕らえ、鮮やかな差し切りで初のG1タイトルを手中にした。
続くジャパンCは、縦長の展開を中団で追走すると、3〜4コーナーを楽な手応えで前に接近。直線坂上で抜け出すと、2着コスモバルクに3馬身差の快勝となった。シンボリクリスエスが2度挑戦していずれも3着に敗れたレースを楽々と制し、その雪辱を果たすとともに自身の実力を改めて証明した。
そして有馬記念。春のグランプリ・宝塚記念で後塵を拝したタップダンスシチーをぴったりとマークしたレース運びはまさに「横綱相撲」。直線の坂でこれを捕らえ、00年のテイエムオペラオーに次ぐ史上2頭目の「秋の古馬王道路線」3連勝。2分29秒5のレコードタイムでシンボリクリスエスもなし得なかった偉業を達成し、この年の年度代表馬の座を射止めたのだった。
翌年は英国遠征のインターナショナルSでクビ差の2着、連覇を狙った天皇賞(秋)はヘヴンリーロマンスにアタマ差の2着など、惜しくもタイトルを重ねられなかったゼンノロブロイだが、04年秋の快進撃は決して色あせることなく、日本の競馬史に名を刻んでいる。