ストーリー
間違いなく素質は秘めている。チャンスも幾度か訪れた。だが巡り合わせの悪さから栄冠に届かない。そんな馬は、各世代に1頭や2頭はいるものだ。
2000年に生まれ、2002年夏から続々とデビューしたサラブレッドの中ではサクラプレジデントがそうだった。
父はサンデーサイレンス。言うまでもなく日本競馬界の勢力図を一変させた大種牡馬である。母のセダンフオーエバーはデビューできずに終わったものの、血統は筋金入り。天皇賞馬ネーハイシーザーの父として知られるサクラトウコウ、日本ダービー馬サクラチヨノオー、朝日杯3歳Sを制したサクラホクトオーを兄に持ち、孫のサクラヴィクトリアはこの年の関東オークスを制したばかりだ。そしてセダンフオーエバーの父は名馬マルゼンスキーである。
サクラプレジデントに宿る潜在能力は、この世代でも屈指といえるはずだった。
2歳8月に迎えた新馬戦は3馬身半差の快勝、続く札幌2歳Sも勝利。順調に競走馬としてのスタートを切ったサクラプレジデントは、2歳王者決定戦・朝日杯フューチュリティSで1番人気に推されることとなる。ここでは2着に惜敗するのだが、そうショックではなかっただろう。直線で力強い末脚を繰り出して、レコードタイムで駆けたエイシンチャンプをクビ差まで追い詰めたのだから。
翌03年の始動戦となったスプリングSも1番人気で2着に甘んじるが、きさらぎ賞勝利で勢いに乗るネオユニヴァースが相手。こちらは休養明けで、クラシック本番に向けて上々の試走を果たせたといえる。
けれど、皐月賞はさすがに痛恨だった。中団から早めに押し上げ、直線では堂々と先頭に躍り出るサクラプレジデント。勝利が間近に迫ったと思えた瞬間、馬群をこじ開けてきたネオユニヴァースに内から並びかけられ、叩き合いの末にアタマ差敗れたのだ。
巻き返しを誓った日本ダービーでは重馬場がこたえたか、7着に終わったサクラプレジデント。勝ったのは仇敵ネオユニヴァースで、二冠達成。いまだG1未勝利の身から見れば、ずいぶんと差をつけられた。
秋シーズンも神戸新聞杯では日本ダービー2着馬ゼンノロブロイに3馬身半突き放され、菊花賞では折り合いに苦労してザッツザプレンティの9着。結局クラシックタイトルは取れないままだった。
以後もジャパンCは重馬場にたたられて14着。長期休養明けで挑んだ04年天皇賞・秋も14着と最後までビッグタイトルには縁のなかったサクラプレジデント。が、3歳夏にはエアエミネムら古馬勢を破って札幌記念を制覇。4歳時の中山記念では後続に2馬身半差をつけて、レコード勝ちをおさめている。
間違いなく強い馬だった。だからこそ、サクラプレジデントを打ち負かした馬たちの勝利もいっそう輝くのだろう。