ストーリー
2002年、2歳夏にデビューを迎えたブルーコンコルドは、将来を嘱望されるに足る走りを積み重ねていった。
初戦の芝1000m戦こそ競り負けて2着に終わったものの、2戦目・芝1200mでは後続を5馬身も突き放しての逃げ切り勝ち。小倉2歳Sでもハナ差2着と接戦を演じ、3着は3馬身後ろ、負けたとはいえ力のあるところを示した。そしてデイリー杯2歳S5着の後、この年は中山の芝1200mでおこなわれた京王杯2歳Sで重賞初制覇を果たす。ハイペースを難なく追走してラストもしっかりとまとめる、スピード感あふれるレースぶりがブルーコンコルドの持ち味だった。
だが明けて3歳、ブルーコンコルドは大スランプに陥る。スプリングSで4着に追い込んだ脚には見どころがあったものの、皐月賞は後方のまま13着、新潟記念は14着、セントウルSが10着など、2ケタ着順がほとんどの6連敗と低迷するのである。
転機は突然訪れた。3歳11月、初めて挑んだダート戦・霜月S。ここでコースレコードを叩き出して圧勝してしまうのだ。砂への適性という、秘めた能力が開花した瞬間だった。
とはいえいきなりの飛躍とはいかず、ダート路線でも7連敗を喫してしまうのだが、これはまだ成長途上だったためだろう。やがて馬体も充実しはじめ、4歳暮れのギャラクシーSでダート戦2勝目をマーク。そして大躍進を遂げる5歳シーズンを迎える。
京葉S2着の後、栗東Sを完勝し、プロキオンSでは2馬身半差でダート重賞初勝利をマーク。秋には58kgの斤量を苦にせずシリウスSを差し切ってみせると、名古屋での開催となったJBCスプリントでは、メイショウボーラーやアグネスジェダイといった難敵を相手に5馬身差の圧勝、GI初制覇を飾る。
こうしてブルーコンコルドは「ダートのナンバー1スピード馬」という地位を築き上げていったのだった。
以後もブルーコンコルドは、この路線における主役であり続けた。フェブラリーSには計4度出走、2度の2着があるなど中央でもビッグレースを盛り上げたが、より強さが際立ったのは交流重賞でのことだった。
2006年の6歳時には、高知・黒船賞が6馬身差の完勝、盛岡のマイルCS南部杯ではクビ差競り勝って2つ目のGIタイトルを獲得。川崎でおこなわれたJBCマイルを2馬身差で勝利し、史上初となる連覇を達成。暮れの東京大賞典も制し、この年はダートグレード競走最優秀馬に選出されることになる。7歳時には、かしわ記念1着、帝王賞2着、マイルCS南部杯連覇と好調をキープ。8歳となった2008年にもマイルCS南部杯を制し、同一GI3連覇の大偉業も成し遂げてみせた。
持ち前のスピードを武器にダート路線を駆け抜けて、遂にブルーコンコルドは、GI・JpnI 7勝という輝かしき金字塔を打ち立てたのだった。