ストーリー
あっと驚くG1初制覇から日本一のダートホースへ飛躍したコパノリッキー。父ゴールドアリュール、母コパノニキータ(母の父ティンバーカントリー)の間に北海道・日高町のヤナガワ牧場で2010年に生まれ、4歳早春の覚醒から日本最多のG1級(G1およびJpn1)11勝を積み上げた。
コパノリッキーは3歳5月の兵庫チャンピオンシップで重賞初制覇と早くから能力を見せていた。しかし、右前肢を骨折して半年余りの休養を余儀なくされ、復帰後はオープン特別で10、9着と連敗。抽選を突破してフェブラリーSに出走した際は16頭立ての最低人気と存在感を失っていた。ところが、先行策からあれよという間に押し切り、その単勝配当はJRAのG1史上2位となる272.1倍。この時点ではさすがにフロック視された。
そうした見方にコパノリッキーは反発する。次戦のかしわ記念を出遅れながらも完勝すると、続く帝王賞では1番人気の支持を受けた。出入りの激しい展開となり結果は2着も、負けてなお強しの粘りを見せ、秋は盛岡競馬場のJBCクラシックをレコード勝ち。1年でダート戦線の中心的存在であることを明白なものとした。
明け5歳初戦の東海Sを4馬身差で圧勝すると、フェブラリーSも前年同様に2番手から押し切って史上初の連覇を達成した。その後に左前肢を骨折したものの、復帰2戦目のJBCクラシックも連覇。年末のチャンピオンズCと東京大賞典は連敗したものの、この2015年はJRA賞最優秀ダートホースに輝いた。
コパノリッキーは逃げてマークされる弱みを抱えていたが、6歳を迎えて進化を見せた。初戦のフェブラリーSこそ内枠から馬群に包まれる形で3連覇を逃したものの、続くかしわ記念を2番手、帝王賞を3番手、マイルCS南部杯も3番手からと好位差しを体得して3連勝。2000mのJBCクラシックに続き、盛岡競馬場の1600mでもレコードをマークした。
その後は4連敗を喫するも、翌年のかしわ記念を制しこのレース3勝目。秋のマイルCS南部杯では連覇を達成し、7歳でも健在をアピール。JBCスプリントでは初の1200mに対応してアタマ差の2着とスピードも証明した。そして、引退レースとなった東京大賞典は4度目の挑戦でついに勝利し、見事に有終の美を飾った。