ストーリー
鮮やかな末脚を繰り出して大レースを差し切る“瞬発力型”の多いサンデーサイレンス産駒にあって、類稀な先行力を武器に、大逃げでターフを沸かせた“スピード型”の個性派がサイレンススズカだ。
とはいえ、そのスピードを存分に生かすレースを身につけるまでには、ずいぶんと時間を要した。5月生まれ、デビューは3歳2月と同期の馬たちに比べて成長が遅れたことに加え、持ち前の気性難も頻繁に顔をのぞかせて、デビューからしばらくは不安定な走りに終始したのである。
スタート直前にゲートをくぐってしまう、大きく出遅れる、イレ込んで道中では折り合いを欠く……。後続を引きちぎって勝つこともあれば、まるでレースにならず負けてしまうことも多かった。結局3歳時は9戦して3勝。素質の高さを感じさせながらも、サイレンススズカは飛躍できぬままのシーズンを過ごしたのである。
が、4歳となって気性も馬体も成長すると、サイレンススズカは一気に頂点への階段を駆け上がっていくことになる。
バレンタインSは4馬身差の圧勝、中山記念も逃げ切って重賞初制覇、小倉大賞典では3馬身差で重賞連覇を飾る。
圧巻だったのは金鯱賞だ。58kgを背負いながら、1000m通過は58秒1、各ハロン11秒台という猛烈なラップで飛ばし、直線を向いたところでも後続は遥か後方。結局そのまま逃げ切って重賞3連勝を果たす。2着ミッドナイトベットとの差は「大差」、勝ちタイム1分57秒8はレコードという圧勝だった。
そして宝塚記念。4連勝中に鞍上を務めた武豊から南井克巳に手綱が替わったこともあってや慎重な逃げかただったが、それでも天性のスピードを十二分に見せつけたサイレンススズカ。最後はステイゴールドを4分の3馬身振り切って5連勝&GI初制覇を成し遂げたのである。
秋になってもスピードは緩まなかった。毎日王冠では、後にジャパンカップを制して凱旋門賞でも2着となるエルコンドルパサー、有馬記念を連覇するグラスワンダー、歴史的名馬2頭と対決したのだが、これらを寄せつけず、2馬身半差の逃げ切り勝ち。この時点でサイレンススズカは、どんな馬も届かない地平に達したといえるだろう。
ところが、悲劇は突如として訪れた。
断然の1番人気で迎えた第118回天皇賞(秋)。サイレンススズカは1000m通過57秒4の高速ラップで飛ばす。常識はずれのハイペースでも、ファンはそのまま逃げ切ってくれると信じた。4コーナーに差しかかるところでも、2番手はまだ遥か後方だ。
直後、左前脚手根骨を粉砕骨折、競走を中止、予後不良……。そのスピード同様、サイレンススズカはあまりにも早く世を去り、誰にも手の届かない場所へと去ってしまったのだった。