ストーリー
長くに渡り古馬同士の長距離・頂上決戦として行われてきた天皇賞。しかし秋の天皇賞は84年に2000mへと短縮され、さらに87年からは3歳馬(現表記)にも解放。長距離の菊花賞は不向きな馬などに、新たな道が開かれた。そんな天皇賞(秋)を、3歳馬として解放後に初めて制したのがバブルガムフェローだ。
バブルガムフェローは95年にデビュー。初戦こそ3着に敗れたが、2戦目の新馬戦を逃げ切り、続く府中3歳Sを好位から抜け出し連勝。1番人気で朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)に出走した。
レースでは好位のインをがっちりとキープし、盤石のレース運びかと思われたが、外からまくり気味に進出したエイシンガイモンが直線入り口で先頭へ。その差は一気に2〜3馬身まで開き、バブルガムフェローはピンチに陥った。しかし、直線半ばから底力を発揮。一完歩ずつ差を詰めると、残り50mで馬体を併せ、最後は余裕を持って差し切った。
最優秀2歳(現表記)牡馬に選出されたバブルガムフェローは翌96年、スプリングSで復帰して2分の1馬身差で優勝。4連勝でクラシックの最有力候補に数えられた。しかし、皐月賞前に骨折が判明し、春は休養を強いられることになってしまったのだった。
復帰は秋、そして古馬相手の毎日王冠。管理する藤沢和雄調教師は2000mまでがベストとの判断を下し、菊花賞ではなく天皇賞(秋)への挑戦を選んだのだ。87年秋以降、4頭の3歳馬が挑戦し、88年オグリキャップ、95年ジェニュインの2頭が2着に好走していたものの、勝利のなかった一戦へ。叩き台の毎日王冠は勝ち馬から0.2秒差の3着と、骨折明けとして上々の結果を残して大一番へと駒を進めた。
この年の天皇賞(秋)は、天皇賞春秋制覇を狙うサクラローレル、宝塚記念優勝のマヤノトップガン、そして6連勝中で前走・京都大賞典を制したマーベラスサンデーが揃う超強力メンバー。そんな中でも、バブルガムフェローは3番人気の支持を集めてレースを迎えた。
古馬の強豪を相手にしても、バブルガムフェローは奇策を用いることもなく、堂々の正攻法。好スタートから3番手につけると、2馬身ほどの差でマヤノトップガン、マーベラスサンデー、やや離れてサクラローレルと、実力馬を従える形でレースを進めた。
直線に向くと、先頭に立ったバブルガムフェローの直後からマヤノトップガンが迫り、勢いではマヤノトップガン優勢かとも思われた。しかし、朝日杯で見せた勝負根性をここでも発揮。ゴール前でもうひと伸びを見せる底力で、3歳馬による天皇賞(秋)制覇、そして岡部幸雄騎手の代役として騎乗した蛯名正義騎手は、自身初となるJRA・G1制覇も達成したのだった。
以降はG1勝ちに恵まれなかったバブルガムフェローだが、翌年の天皇賞(秋)では名牝・エアグルーヴと3着以下を5馬身離す一騎打ちでファンを大いに沸かせた。その後、同じ藤沢和雄厩舎のシンボリクリスエスが02年に優勝、そして04年にはダンスインザムードが2着になるなど、多くの若駒がこの馬の拓いた道を進み、古馬の厚い壁に挑戦を続けている。