ストーリー
昭和末期から平成にかけての競馬ブームを支えた、幾多のサラブレッド。とりわけ1985年生まれの馬たちは「史上最強世代」としてターフを沸かせ、大きな人気を獲得した。
芦毛の怪物オグリキャップ、東京2000mのスペシャリスト・ヤエノムテキ、晩成の最強ステイヤー・スーパークリーク、そしてマイルの雄サッカーボーイ……。
綺羅星のごとく駆けたこれら強豪と肩を並べて活躍したものの、遂にGIタイトルとは縁のないまま競走馬生活を終えたのが、メジロアルダンだ。
メジロアルダンは牝馬三冠馬メジロラモーヌの弟として生まれた。血統からは大きな期待をかけられて不思議ではなかったはずだ。だが双子として生まれたせいだろうか、体質が弱く、デビューは1988年、明け3歳の3月までずれ込む。ダート1200m戦で、なんとか2着を半馬身抑え込むという初戦勝利が、メジロアルダンのスタートだった。
ところがそこからメジロアルダンは、驚くべき速さで出世街道を歩むこととなる。
2戦目で芝に転向し、1800m戦を逃げ切り勝ち。2連勝の勢いに乗って挑んだのが、当時はダービー・トライアルとしておこなわれていたNHK杯だ。
ここにはサッカーボーイなどが出ていたため6番人気にとどまったメジロアルダンだったが、好位からしぶとく粘って2着をキープ、日本ダービー出走権をつかみ取る。
本番・日本ダービーでもメジロアルダンは観る者を驚かせた。好位から直線で力強く脚を伸ばし、いったんは先頭に立つというレースぶりだ。最後はサクラチヨノオーに差し返されて2着に終わったが、世代屈指の実力を持つことをアピールすることに成功した。
その後、骨折のため丸1年もの休養を余儀なくされるが、復帰戦となったメイSを快勝し、あらためて能力の高さを広く知らしめたのだった。
そこからの5戦がメジロアルダンのクライマックスだったといえるだろう。
1989年の高松宮杯(当時は2000mのGII)では、安田記念勝ち馬バンブーメモリーらを2馬身半差で降して重賞初制覇。毎日王冠では、オグリキャップ、イナリワンという最強クラス2頭に次ぐ3着を確保する。
続く第100回天皇賞(秋)では、スーパークリーク、オグリキャップとの壮絶な叩き合いを演じての3着となった。
ここで屈腱炎を患い、またも長期休養に入ったメジロアルダンだったが、1990年の秋にカムバック、ふたたびGIで光を放つ。復帰初戦のオールカマーこそ4着に敗れたものの、叩かれて上昇、第102回天皇賞(秋)ではヤエノムテキをアタマ差まで追い詰めてみせたのである。
故障がちのせいで結局はGI未勝利に終わったが、脇役と呼ぶには惜しいほどの力走を見せ続けた「史上最強世代」の1頭だった。