ストーリー
今でこそ2つのG1があるスプリント路線だが、以前は大レースといえば中〜長距離ばかり。スプリンターズSが初の短距離G1に昇格したのは1990年のこと。その記念すべき1回目の覇者となったのが、89、90年の最優秀スプリンター・バンブーメモリーだった。
バンブーメモリーのデビューは2歳秋の87年。88年秋まで3勝すべてをダート戦で挙げていた。しかし1400万条件では足踏みが続き、翌89年春の道頓堀Sで初めて芝に出走すると5馬身差の大楽勝。続くオープン・シルクロードS(当時芝1600m)も3着に好走すると、連闘で安田記念へと駒を進めた。
G1どころか重賞すら初出走のバンブーメモリーは、名手・岡部騎手鞍上ながら10番人気の低評価。ところが、レースでは後方追走から、直線で爆発的な脚を繰り出して一気の差し切り勝ち。一部の重賞しか全国発売のない時代、初の関東遠征で「名前すら聞いたことがなかった」というファンの度肝を抜く走りでG1タイトルを獲得した。
人気薄での勝利にファンの評価が今ひとつ上がらなかったバンブーメモリーだったが、続く宝塚記念では5着。さらに高松宮杯(G2・2000m)で2着好走すると、秋初戦・スワンSは3馬身半差で快勝。ようやくG1馬らしい評価を受けるようになり、マイルG1連覇を目指してマイルCSへと駒を進めた。
ここは当然1番人気、と思いきや。秋の天皇賞で2着惜敗を喫した怪物・オグリキャップの出走でバンブーメモリーは2番人気にとどまった。レースは、そのオグリキャップが道中5番手を追走し、バンブーメモリーは3馬身ほどの差をとってがっちりマーク。3コーナー、坂の下りでオグリキャップの手応えが怪しくなる一方で、バンブーメモリーは馬なりのまま先行集団に取りついていった。そして直線、バンブーメモリーは残り300mで楽々と抜け出し完勝か、と思われた。しかしその直後、ラチ沿いからオグリキャップが急襲。クビの上げ下げの勝負はハナ差でオグリキャップが制し、バンブーメモリーは歴史に残る名勝負の引き立て役に終わってしまったのだった。
惜しくも2つめのタイトルを逃したバンブーメモリー。翌90年春の安田記念、宝塚記念はともに6着に敗退。夏の高松宮杯こそ制したものの、秋は天皇賞でヤエノムテキの3着、そしてマイルCSはパッシングショットの2着と、G1では勝ち運に恵まれない競馬が続いていた。
そんな中で出走したのが、この年からG1に昇格した暮れのスプリンターズSだった。中団をキープしたバンブーメモリーは、直線の急坂で馬群を割って豪快な末脚を発揮。残り100mを切って先頭に立つとそのままの勢いで後続を突き放し、日本レコードで2つめのG1制覇。さらに、前年に続いて最優秀スプリンターのタイトルも獲得したのだった。
翌91年に、安田記念3着などの成績を残して引退したバンブーメモリー。今はオグリキャップと死闘を演じたマイルCSばかり取り上げられることが多いが、安田記念、そしてスプリンターズSで見せた豪脚が鮮烈な記憶として残っているファンも少なくないはずだ。