ストーリー
3歳クラシック三冠の中でも、秋におこなわれる最後の一冠・菊花賞は特異な位置にあるレースだ。格よりも上昇度、実績より適性。夏の間に力をつけた馬が、豊富なスタミナを生かして春の活躍馬たちを逆転する。そんなシーンが何度も繰り返されてきた。
1986年の第47回菊花賞では、1番人気から5番人気までを日本ダービー出走馬が占めた。ダービー4着後、古馬相手の高松宮杯を快勝した素質馬ラグビーボール、神戸新聞杯と京都新聞杯を連勝したタケノコマヨシ、セントライト記念を逃げ切ったレジェンドテイオー、青葉賞勝ち馬で秋のトライアルでも上位に食い込んでいるサニーライト、そしてダービー馬ダイナガリバーといった面々だ。
これらを追う6番人気につけたのがメジロデュレン。今回が重賞初出走、実績面では人気上位勢に劣る存在だ。だがメジロデュレンにも大きな武器があった。それがまさに、上昇度と距離適性だ。
3歳5月とデビューの遅れたメジロデュレンは、そこから休まずに走り、バテない強みを頼りに安定して掲示板を確保してきた。初出走は1着、2戦目は2着、3戦目は5着、4戦目では2勝目をマーク。
夏を迎えると、さらなるレベルアップを果たす。いきなり古馬相手のオープンに挑んで3着と健闘すると、続く900万下・樽前山特別を快勝。さらに3000mの準オープン・嵐山特別では1番人気に推され、楽に逃げたイチヨシマサルをねじ伏せて勝利。2連勝の勢いと、出走馬中唯一の3000m経験馬、そして勝利馬として菊花賞へ臨むことになったのだ。
血統からも長距離への適性がうかがえた。父フィディオンからはタネルコ、ジャカオ、シカンブルといったフランスの中長距離で活躍した血を、母メジロオーロラからはリマンド、アルサイド、ヒンドスタンなど英愛のビッグレースで活躍した血を受け継ぎ、スタミナと勝負根性の高さを感じさせたのだ。
菊花賞でのメジロデュレンは、その潜在能力を最大限に発揮した。ゆったりとした流れを好位で追走し、直線では実績ナンバー1のダイナガリバーと叩き合う。これを半馬身差で制して、メジロデュレンは重賞初挑戦初制覇をこの大舞台で成し遂げたのだった。
メジロデュレンが持ち前のスタミナを存分に見せつけたレースはこれだけではない。
翌1987年、日経新春杯3着後に骨折のため休養に入り、復帰後はカシオペアS5着、鳴尾記念10着大敗と、まったく目立たぬステップで挑んだ第32回有馬記念でのことだ。
スタート直後に3番人気メリーナイスが落馬、勝負どころの3コーナーでは1番人気サクラスターオーが競走中止、直線では2番人気ダイナアクトレスが伸びを欠く波乱の展開の中、メジロデュレンは3コーナーから進出を開始し、直線でも脚を伸ばす。バテないスパートで最後はユーワジェームスを差し切り、2つ目のタイトルを獲得したのである。