ストーリー
「きっかけがあれば変わってきそうなんだけど…」。結果を出せない素質馬について、騎手や厩舎関係者のコメントでは良く見られるひと言である。そんな「きっかけ」を掴めばこれほどまで変わるのか、という良い例が88年の年度代表馬・タマモクロスだ。
タマモクロスにとっての「きっかけ」は「芝」。デビュー当初は芝の新馬戦で7着、そして400万条件では落馬・競走中止。一方ダートでは、未勝利勝ちに加え400万条件で2着1回3着2回という成績で、3歳秋(現表記)までは「ダート向きの条件馬」の1頭だった。
ところが、約半年ぶりに芝に戻った京都2200m戦でタマモクロスは一変、後続に7馬身もの差をつけて大楽勝を演じる。続く藤森特別では8馬身差、さらに格上挑戦のG2・鳴尾記念でも6馬身差の圧勝を飾り、わずか2カ月で一躍「芝のスターホース」候補の1頭にまでのし上がったのだ。
鳴尾記念の圧勝で「有馬記念でも好勝負」という声が多く聞かれる中、陣営は次走に金杯(現京都金杯)を選択した。ここは圧勝とはならなかったものの、京都内回り2000mでは絶望的とも言える4コーナー最後方から、馬群を縫って鮮やかな差し切り勝ち。続く阪神大賞典では「危うし」という場面からダイナカーペンターと同着に持ち込み、重賞3連勝でG1・天皇賞(春)へと駒を進めた。
その天皇賞は、前年の有馬記念馬で2番人気のメジロデュレン、そして皐月賞、菊花賞2着馬で3番人気のゴールドシチーが3コーナーで早めに動く競馬。中団に待機していた1番人気のタマモクロスは、やや反応が遅れたようにも見えた。
しかし坂の下りでエンジンがかかると、南井克巳騎手(現調教師)の激しいムチに応えて末脚炸裂。後続に3馬身差をつけてG1勝ちを収めるともに、当時「大レースに縁がない」と言われていた南井騎手に初のビッグタイトルをもたらしたのだった。
春はさらに、宝塚記念で名マイラー・ニッポーテイオーを下したタマモクロスだったが、秋にはさらなる難敵が待ち構えていた。ひとつ下の怪物・オグリキャップだ。秋の天皇賞は、重賞6連勝中のオグリキャップ、そして同5連勝中のタマモクロスによる「芦毛対決」が大いに注目を集める一戦となった。
これまで差して結果を出してきたタマモクロスだが、このレースではファンはもちろん、管理する小原伊佐美調教師さえも驚く2番手追走。直線で迫るオグリキャップの追撃を振り切り、見事「芦毛対決」を制するとともに、史上初の天皇賞春秋連覇を成し遂げた。
続くジャパンCでは2着に敗れ、連勝は8でストップ。そして有馬記念ではオグリキャップに雪辱を許す2着となり、これを最後に引退することとなった。この有馬記念の3位(失格)にはスーパークリーク、そして4日後の東京大賞典ではイナリワンが優勝。平成の競馬ブームを担う各馬が着々と力をつける中、昭和最後の名勝負を演じたタマモクロスはターフを去っていったのだった。