ストーリー
オグリキャップを中心に巻き起こった平成の競馬ブームより少し前、昭和最後の名マイラーとして活躍したのがニッポーテイオーだ。
父は米BCマイルの初代勝ち馬ロイヤルヒロインなどを出したリィフォーで、その父はジャックルマロワ賞1着のリファール。母系からは日本ダービー馬が何頭も出ており、4代母にはオークス馬オーハヤブサがいる。いわばスピードと底力がハイレベルでミックスされた血統の持ち主として、ニッポーテイオーは生まれた。
事実、1985年(昭和60年)10月、東京の芝マイル戦でデビューしたニッポーテイオーは2着を2秒以上も突き放す大差勝ちを飾り、類稀なる能力を見せつけた。
ただ、その能力が本当に開花するまでには、まだ少し時間を要した。明けて1986年の弥生賞は3着、皐月賞は8着、ダービートライアルのNHK杯でも8着と、大舞台であるクラシック路線では苦戦を続けたのである。
ニッポーテイオーの武器、すなわちスピードを最大限に生かすべく、陣営は日本ダービーや菊花賞を諦め、進路を短・中距離路線に早々と切り替える。が、これ以後も栄光にはまだ少し距離があった。
秋の大一番・マイルCSに1番人気で臨んだものの、伏兵タカラスチールの大駆けにハナ差屈しての2着。翌1987年の安田記念にも1番人気を背負って出走したが、フレッシュボイスの直線一気に敗れて2着に終わる。宝塚記念もスズパレードの2着だった。
それでも、苦闘の過程では何度も能力の高さを見せていた。2着以下を楽々とちぎり捨てたニュージーランドT4歳S、古馬相手に当時の日本レコードを叩き出した函館記念、圧勝のスワンS……。ポテンシャルの高さは誰もが認めており、GI未勝利にもかかわらず1986年の最優秀スプリンターに選出されているほどだ。
そしてようやく、栄光の時が訪れる。
1987年・秋の天皇賞。施行50周年記念としておこなわれたこの一戦は、当時の皇太子殿下・美智子様御夫妻を東京競馬場に迎えての記念すべきレースとなった。結果は、ニッポーテイオーの完勝。序盤から隊列を引っ張り、最後までペースを落とさず、重馬場ながらメンバー中ただ1頭2分を切る1分59秒7の好タイムをマーク。5馬身差の勝利で初のGIタイトルを獲得したのである。
続くマイルCSも圧巻のレース。スンナリと好位につけ、直線で抜け出すと、もう追いかけてくる馬はいない。やはり5馬身の差をつけ、レースレコードも記録しての勝利だ。
そして1988年の安田記念。難敵ダイナアクトレスや昨年の勝ち馬フレッシュボイスらを引き連れて府中の長い直線を逃げ粘り、3つ目のGIを手中に収める。
こうしてニッポーテイオーは、力強く芝を叩くフォームから生み出される抜群のスピードで、昭和末期を駆け抜けたのである。