ストーリー
2016年に北海道・安平町のノーザンファームで誕生したワールドプレミアは、父ディープインパクト、母マンデラ(その父アカテナンゴ)の全兄ワールドエースともども素質の開花を阻まれる時間が長かった。ちょうど3年の現役生活で半年以上の休養が3回あり、引退までに計12戦しかできなかった中で菊花賞と天皇賞(春)を制した。
同じ血統ながらスピードを武器に活躍した7歳上の兄に対し、弟は2歳10月のデビュー戦からスタミナ色の強さをうかがわせていた。芝1800mの初陣はゲートをゆっくり出ると、道中は武豊騎手に促されながらクビ差での勝利。2着のメイショウテンゲンは後にダイヤモンドSでハナ差2着、4着のタガノディアマンテも万葉Sを勝つなど、振り返ればステイヤーが集っていた。
1か月後には京都2歳Sで重賞に挑戦するも後方から追い込み切れずに3着。賞金加算ならず明け3歳初戦の自己条件で2勝目を挙げ、4戦目は兄も勝っている若葉Sに臨んだ。しかし、ここでもエンジンの掛かりが遅く3馬身差の2着に完敗。辛うじて皐月賞の優先出走権を得たものの、ソエ(管骨の骨膜炎)で春を棒に振ることとなった。
その後、半年の休養から神戸新聞杯で復帰したワールドプレミアは3着で菊花賞の出走枠に滑り込み。迎えた本番は中団のラチ沿いキープから直線で抜け出し、サトノルークスの追撃をクビ差振り切って重賞初制覇をクラシックで飾る。次戦の有馬記念でも同期の皐月賞馬サートゥルナーリアからクビ差の3着に食い込み、G1ホースの実力を証明した。
距離延長により本領を発揮しはじめたワールドプレミアだが、4歳は体調が整わずに秋まで休養が長引き、ジャパンCで11か月ぶりに実戦復帰するも6着、有馬記念も5着(同着)に終わる。この間には1歳下の半弟ヴェルトライゼンデもダービー3着など活躍していたが、ワールドプレミアの復帰と入れ替わるように屈腱炎を発症している。
ワールドプレミアは2戦を経て仕切り直し、5歳初戦の日経賞で3着と復調を示して天皇賞(春)へ進んだ。京都競馬場の改修工事により阪神競馬場での代替開催となったこの年は、例年以上にスタミナが生きる条件となり持ち味をフルに発揮。中団から馬群の外を回って馬場の中央付近を突き抜け、コースレコードで2度目のG1制覇を果たす。しかし、半年の休養から直行した天皇賞(秋)は短い距離もあり11着に沈むと、その後は体調が整わずに予定していたジャパンCを回避。結局、そのまま引退して種牡馬入りすることになった。