ストーリー
2015年に北海道・安平町のノーザンファームで生まれたラッキーライラックは、牡馬クラシック三冠馬でG1レース6勝の父オルフェーヴル、アメリカでG1勝ちの母ライラックスアンドレース(母の父フラワーアレイ)から受けた素質を早くから開花させ、自身もG1レースを4勝した。
ラッキーライラックは父オルフェーヴルと同じ2歳8月の新潟開催で初陣を飾り、2戦目にはアルテミスSで早々に重賞初制覇。騎手を振り落とすなど粗削りだった父とは異なり、どちらも好位差しの快勝で完成度の高さをうかがわせた。3戦目の阪神ジュベナイルフィリーズでは中団から勝負根性を発揮して差し切り、いずれも2番人気ながら横綱相撲で3連勝。父に初のG1タイトルを贈るとともに無敗の2歳女王に輝いた。
明け3歳初戦のチューリップ賞では初の1番人気に支持され、3番手から2馬身抜け出す貫禄勝ち。桜花賞へ堂々と駒を進めたが、そこにアーモンドアイが待っていた。ラッキーライラックは前哨戦と同様に3番手から抜け出す女王のレースで勝ちにいったが、ここからG1を9勝する稀代の名牝に並ぶ間もなく差し切られて完敗。オークスで1番人気を明け渡すと再び完敗し、その後、右後肢の球節を痛めてしまう。直行した秋華賞は生涯最悪の9着に惨敗し、牝馬の三冠タイトルを全てアーモンドアイにさらわれた。
秋を秋華賞の1戦で切り上げたラッキーライラックは、4歳春の中山記念で復帰。勝ったウインブライトが次戦で香港のG1を勝つなど、6着までG1ホースという強力な面々の中でクビ差の2着と実力をアピールした。しかし、次戦からのマイル2戦は結果として舞台が合わずに連敗し、秋から距離を延ばしていく。そして、2戦目のエリザベス女王杯でC.スミヨン騎手を鞍上に迎えると、上がり3ハロン32秒8というギアを引き出されて復活勝利。ターニングポイントともいうべき大きな1勝を挙げた。
続く香港ヴァーズでは初の海外、牡馬相手のG1という二つの壁に対して2着に善戦すると、5歳初戦の中山記念でも2年連続の2着と好調を持続。そして、大阪杯では1歳下で伸び盛りのクロノジェネシスや牡馬を下して3つ目のG1タイトルを手にする。
秋には初の阪神開催となったエリザベス女王杯で史上4頭目の連覇を達成。次戦の有馬記念で現役に別れを告げ、繁殖生活の待つ生まれ故郷のノーザンファームへ帰っていった。