ストーリー
2009年に北海道・平取町の追分ファームで父ステイゴールド、母ディラローシェ(母の父デインヒル)の間に生まれたフェノーメノは、同じ父を持つ個性派のオルフェーヴルやゴールドシップとともに、天皇賞(春)連覇など王道でけん引役を担った。
デビュー当初のフェノーメノは東京競馬場と中山競馬場で対照的な内容を繰り返した。東京競馬場では2歳の10月の新馬戦、3戦目の条件戦とも先行し、後続の圧力に動じることなく押し切るセンスと勝負根性を発揮。その一方、中山競馬場のホープフルS(2戦目)、弥生賞(4戦目)では勝利を挙げられず、結果的に皐月賞の出走権を逃すこととなった。
それでも、蛯名正義騎手を新たな鞍上に迎えた東京競馬場の青葉賞では、中団から2馬身半抜け出す完勝で堂々と日本ダービーへ駒を進める。ダービーでも青葉賞と同様に中団から直線で豪快に末脚を炸裂させてゴールへ迫ったが、内で粘るディープブリランテをハナ差捕らえ切れず2着。惜敗とするにはあまりに大きい差に、20度目の挑戦も夢破れたベテラン騎手は悔しさを隠すことができなかった。
ダービーで大きな挫折を味わったフェノーメノだが、成長を止めることはなかった。秋は結果を出せていなかった中山競馬場で初戦のセントライト記念を快勝。その後は天皇賞(秋)からジャパンCへ進み、ともに極端な瞬発力勝負の中で勝利こそならなかったものの、天皇賞では初の古馬を相手に2着に善戦した。
そして、明け4歳の日経賞を完勝で始動すると、次戦で春の盾獲りに挑む。フェノーメノには初の関西遠征、輸送や3000m級のレースなど未知の要素も少なくなかったが、1番人気のゴールドシップらを寄せつけない快勝劇でついにG1制覇を果たした。しかし、次戦の宝塚記念後に左前脚の繋靱帯炎を発症して残りのシーズンは全休。休養から明けた5歳初戦の日経賞は最後に伸び切れず5着も、この1戦で変わり身を見せる。
フェノーメノは前年と同様に天皇賞(春)へ向かうと、直線の入口で一気に末脚を解き放つ勝ちパターンを再現。食い下がるウインバリアシオンをクビ差振り切って史上3頭目の天皇賞(春)連覇を成し遂げた。その後は秋に専念するため休養に入ったが、復帰後はフェノーメノらしさをまったく発揮できないまま、3連覇を狙った天皇賞(春)の前に両前脚の脚部不安に見舞われて引退。種牡馬入りすることになった。