ストーリー
その名にある閃光のような末脚を武器に活躍したエイシンフラッシュ。英2000ギニー馬キングズベストを父に、独セントレジャー馬のムーンレディ(父プラティニ)を母に持ち、海外で交配後に輸入された母が2007年に社台ファームで産み落としたいわゆる持込馬で、インパクトの強いG1制覇劇は今でも語り草になっている。
エイシンフラッシュは6歳で引退するまでに国内外のG1レースを17戦して2勝。2着2回、3着4回と勝ち味に遅い面はあったが、日本ダービー、天皇賞(秋)というビッグレースで鮮烈な記憶を残した。
エイシンフラッシュが皐月賞3着から臨んだ日本ダービーには史上最高の下馬評を受ける強敵が集った。エイシンフラッシュは皐月賞の好走にもかかわらず7番人気に甘んじたが、この屈辱をバネにするかのような圧巻のパフォーマンスで低評価を覆す。1800m地点に1分53秒5の超スローペースで差し掛かかったレースはラスト600mの瞬発力勝負に。中団の内ラチ沿いに待機していたエイシンフラッシュは馬群の中を進出すると、ダービー史上最速の上がり時計32秒7を叩き出して鮮やかに世代の頂点を極めた。
ただ、この強烈な瞬発力は諸刃の剣だった。最高のキレ味を発揮できるのは一瞬。末脚の使いどころが難しく、ダービー後は地力の高さで上位争いこそ演じるものの、5歳秋まで2年余り白星に見放されることになった。
待望の瞬間が訪れたのは2012年の天皇賞(秋)。近代競馬150周年記念と銘打たれるとともに、天皇皇后両陛下の行幸啓を賜った特別な一戦は、大逃げのシルポートが残り600mで15馬身ほどのリード。これに対してエイシンフラッシュは離れた集団の後方に控えると、内ラチ沿いの最短距離をスルスルと駆け上がり、逃げ馬めがけて襲い掛かる集団から一気に突き抜けた。上がり3ハロン33秒1は3着に追い込んだルーラーシップと並び最速。鞍上のミルコ・デムーロ騎手の好判断が天覧競馬で会心の勝利を呼び込んだ。
さらに、ウイニングランでスタンド前に帰還した人馬は競馬史に残る名シーンを演出する。エイシンフラッシュを貴賓席の下まで誘導したデムーロ騎手は、馬上から降りて脱帽すると、片膝をついて両陛下に深々と最敬礼。その姿を見守る東京競馬場のスタンドからは祝福と賞賛の大歓声が上がった。
エイシンフラッシュは1年後の毎日王冠で最後の勝利を挙げると、6歳限りで現役に別れを告げて種牡馬入りした