ストーリー
小回りの2200mという、G1としてはやや特異な条件で行われる春のグランプリ・宝塚記念。暮れの有馬記念も併せ「グランプリ巧者」の活躍も見られるが、その代表格が1998年の暮れからグランプリ3連覇を飾ったグラスワンダーだ。そんな父の血を受け継ぎ、2011年の宝塚記念で史上初の父子制覇を達成したのがアーネストリーだった。
アーネストリーのデビューは07年7月の阪神芝1800m戦。後のオークス馬・トールポピーを2着に、そして皐月賞馬・キャプテントゥーレを8着に退けてデビュー勝ちを飾った。しかし、その後2度にわたる休養を強いられ、2勝目は翌年9月。その後は順調に勝利を重ね、4歳を迎えた09年春にはオープン入りを果たしたが、日経賞で1.1秒差の4着など重賞で勝ち負けを演じるには至らなかった。本格化を迎えるのは、いったん降級して秋に1600万条件を快勝した後になる。アルゼンチン共和国杯で道中2番手追走からそのまま2着に入り、初めて重賞で連対を果たしたのだった。
重賞でも勝負になる手応えを掴んだアーネストリーは、続いて中日新聞杯に出走する。当時の小回り中京で前半58秒4という速い流れだったが、道中5番手から積極的に前を追い、逃げたドリームサンデーをゴール前できっちり捕らえて優勝。1分57秒4の好時計で重賞初制覇を達成した。
翌10年は、一頓挫あって5月末の金鯱賞(京都芝2000m)で始動。前走と違い、ドリームサンデーが1000m61秒0と遅いペースで先導したが、アーネストリーは2番手でこれをぴったりマークすると、上がり34秒0の脚で重賞連勝を飾ったのだった。
その勢いに乗って挑んだのが、父が99年に優勝した宝塚記念だ。3番人気に推されたアーネストリーはいつも通りの先行策で2番手を追走。抜群の手応えで直線に向いて坂下で先頭に立ったが、内からブエナビスタ、外からナカヤマフェスタに交わされ3着。G1初挑戦で十分な力を見せた一戦ではあったものの、父子制覇は持ち越しとなった。
続く札幌記念を快勝したアーネストリーだったが、秋の天皇賞はブエナビスタに一気に突き放されて3着に敗退。不安が出て有馬記念は出走かなわず、次のG1制覇のチャンスは翌11年、金鯱賞3着を叩いて挑んだ宝塚記念だった。
この年は実力馬が揃い、前年の3番人気から6番人気に評価を落としたアーネストリー。しかし、前半58秒7の流れを2番手で追走すると、持ったままの手応えで4コーナーで先頭へ。直線でムチが入ると2馬身、3馬身とリードを開いて独走態勢を築いていった。最後はやや差を詰められたものの、ブエナビスタやエイシンフラッシュといった実力馬を押さえ込み、2分10秒1のレコードタイムでG1初制覇。そして、前年はかなわなかったレース史上初の父子制覇も達成したのだった。
その後、有馬記念の父子制覇こそならなかったものの、中山ではオールカマーを制して13年より種牡馬入りしたアーネストリー。グランプリ巧者の血を受け継ぐ産駒がどんな活躍を見せるのか、そのデビューを楽しみに待ちたい。