ストーリー
2007年の2歳時はデビューからダートで3戦2勝の成績。後にダート路線で輝かしい実績を残すことになるスマートファルコンは当初、3歳クラシックで希望の星になろうとしていた。2008年1月、芝への転向初戦となったジュニアCで怒涛の追い込み勝ちを決めてみせたのだ。
だが、続く共同通信杯は後方からよく脚を伸ばしたものの7着にとどまり、アーリントンCは10着。果敢に挑んだ皐月賞では18頭立ての最下位、17着馬から5馬身も遅れての入線という失意を味わう。
父はフェブラリーSや東京大賞典を制したダートの強豪ゴールドアリュール。兄ワールドクリークも東京大賞典の勝ち馬であり、1つ上のグラスハーブも中央から地方・船橋への移籍後に4連勝をマークしていた。
やはりスマートファルコンが本領を発揮できるのは砂の上。あらためてダート路線へと舵は戻されたのである。
3歳夏シーズン以降、ジャパンダートダービーがサクセスブロッケンの2着。その後KBC杯勝利、白山大賞典で重賞初制覇。続くJBCスプリントではバンブーエールの2着と安定した成績を残し、ダート路線のホープとして認識されるようになったスマートファルコン。ここからターゲットを地方で開催されるダートグレード競走に絞り込むことで、一気にトップホースへと上り詰めていく。
彩の国浦和記念は7馬身差、兵庫ゴールドトロフィーと佐賀記念は4馬身差の勝利。名古屋大賞典も勝利し、かきつばた記念は5馬身差で圧勝、さきたま杯ではバンブーエールも破って重賞6連勝をマーク。マーキュリーCで2着に敗れたため7連勝はならなかったが、その後も勝ち鞍を増やし、2010年の5歳春までに通算10個の重賞タイトルを獲得。レースを重ねるにつれて逃げて後続を引き離すスタイルが身につき、そのスピードに注目が集まるようになったのだった。
スマートファルコンにとってのクライマックスは、2010年11月から始まる。
JBCクラシックで地方の強豪フリオーソを7馬身も突き放す衝撃の勝ちっぷりを披露してJpnI初制覇を成し遂げると、浦和記念は6馬身差、東京大賞典は1馬身4分の3差で勝利。2011年シーズンもダイオライト記念が8馬身差、帝王賞が9馬身差、日本テレビ盃が4馬身差と、後続に影を踏ませぬ圧勝を積み重ねる。さらにトランセンドを破ってJBCクラシック連覇を果たし、ワンダーアキュートを振り切って東京大賞典も連覇。2012年初戦の川崎記念もコースレコードを叩き出して、重賞9連勝もマークしてみせた。
勇躍挑んだドバイワールドCでは不利もあって10着と敗退。だが、1400mでも2000m以上でも見せつけるあふれるほどのスピードと、2着以下を完膚なきまでに突き放す鮮やかなレースぶりで、ダートグレード戦線で独裁政権を築き上げたのだった。