ストーリー
展開、ハンデ、人気馬の凡走。波乱となったレースにはさまざまな要素があるものだが、そんな要素のひとつとしてコース適性も挙げられる。抜群の中山巧者だったマツリダゴッホは、そんなコース適性を武器に07年の有馬記念を快勝した馬だった。
マツリダゴッホのデビューは05年の8月。札幌の新馬戦を快勝し、翌年夏の日高特別まで5戦3勝。ダービー出走こそならなかったが、秋の飛躍が期待されていた。しかし、セントライト記念は4コーナー手前で落馬、競走中止。これでクラシック出走の夢は絶たれてしまったのだった。
しかし12月に復帰すると、2戦目のクリスマスSを制してオープン入り。そして3度目の重賞挑戦は、年が明けた07年のアメリカJCC。道中離れた4番手を追走すると、3コーナー手前から徐々に進出。直線入り口で、大逃げを打ったインティライミを並ぶ間もなく交わし去ると、そのまま後続を5馬身ちぎる大楽勝で重賞初制覇を成し遂げた。
アメリカJCCの圧勝で、いよいよG1も視野に入ってきたマツリダゴッホ。続く日経賞もほぼ確勝かという態勢に持ち込んだが、ゴール前で脚が鈍ってネヴァブション、トウショウナイトに差されて3着。さらに春の天皇賞は11着、そして札幌記念は7着と、まだ強敵相手に安定して力を発揮するまでには至っていなかった。
しかし、アメリカJCCと同じ中山2200mの舞台に戻ったオールカマーでは本領発揮。中団を抜群の行きっぷりで追走すると、早めに仕掛けたシルクネクサスとの一騎打ちを半馬身差で制し、2つ目の重賞タイトルを手中に収めたのだ。
これで中山コースは【4.1.1.1】と、落馬したセントライト記念以外はすべて馬券圏内。秋の天皇賞15着後に挑んだ有馬記念では、そのコース適性に注目する声もちらほらと聞かれていた。一方で、2500mの日経賞ではゴール前で止まり、3200mの天皇賞は11着。中距離馬で有馬記念の2500mは長い、という評価もまた多かったのだ。
そんな中で迎えた有馬記念は9番人気。メイショウサムソンを筆頭に強敵揃いのメンバーでは、いくらコース適性が注目されても単勝52.3倍の低評価にとどまっていた。
レースはダイワスカーレットを前に見て3番手を追走し、4コーナーでダイワスカーレットが外に出すと、その瞬間を見計らったかのように内をすくって一気に先頭へ。そのま1馬身、1馬身半とリードを開くマツリダゴッホ。今度は日経賞とは違いゴールまでしっかりと脚を伸ばし、まるで1頭力が違ったかのような完勝劇。得意の中山で距離不安を一層し、見事グランプリホースの栄冠に輝いたのだった。
その後、2度挑戦した有馬記念では本来の先行策に持ち込めず12、7着に敗退してしまったが、08年の日経賞では前年の雪辱を果たしたほか、得意の2200mではオールカマー3連覇を達成。全10勝中8勝を中山で挙げるという巧者ぶりを見せつけた。果たして産駒も中山巧者なのか、それともまったく異なるタイプが出現するのか。子供たちがどんな走りを見せてくれるのか楽しみに待ちたい。