ストーリー
毎年12月に計4レースが行われる香港国際競走。中でもマイルやスプリントは地元香港馬が強く、特にマイルでは地元馬が8連勝を飾っている(2013年現在)。その香港マイルを最後に制した外国馬が、日本のマイル王・ハットトリックだった。
デビューは04年、3歳の5月と遅れたが、未勝利、500万特別を2連勝。重賞初挑戦のラジオたんぱ賞こそ9着に敗れたものの、休養を挟んで秋には1000万、1600万を連勝し、5戦4勝で3歳シーズンを終えた。
翌05年は年明け早々の京都金杯に出走。単勝1.6倍の断然人気に推されたハットトリックは、直線大外から豪快な差し脚を繰り出して重賞初制覇。さらに、東京新聞杯では上がり32秒9の末脚で重賞を連勝。スタートに課題を抱えながらも、前年秋の1000万から4連勝で一気に安田記念の有力候補へと浮上したのだった。
ところが、続くG2のマイラーズCは4コーナーの手応えが悪く、直線入り口では挟まれる大きな不利もあって9着敗退。そして、安田記念では外枠から直線では内を狙ったものの、前が開かず15着と大敗を喫してしまう。さらに、中距離路線に進んだ秋も毎日王冠で9着、天皇賞・秋では7着に敗れ、デビュー当初の勢いを完全に失ってしまっていた。
そんな中で出走したのが05年秋のマイルCSだった。春に敗れた2戦は不利が大きかったこともあり、1600mに戻って3番人気の評価を受けたハットトリック。直線ではついにこの馬本来の末脚を取り戻し、断然人気のデュランダルを突き放すと、一歩前に位置したラインクラフトも交わして2番手まで浮上。さらに、先に抜け出していたダイワメジャーにも襲いかかった。ゴール板前は2頭が内外離れて際どい勝負になったが、最後は勢いに優るハットトリックがハナ差でダイワメジャーを交わし、G1初制覇を成し遂げたのだった。
ついにG1馬となったハットトリックは、安田記念馬アサクサデンエンとともに、香港マイルへ駒を進めた。この年は日本の2頭のほか、外国勢ではイギリスのラクティが注目の存在。地元香港馬では春の安田記念で4着のブリッシュラックへの期待が大きく、ハットトリックは3番人気の支持を受けていた。
香港の地でもいつも通り後方を追走したハットトリックは、3コーナーから徐々に進出すると、直線で末脚炸裂。アサクサデンエンを外から一気に交わすと、ゴール前ではザデューク(翌年の1着馬)を捕らえて優勝。01年のエイシンプレストン以来となる日本馬による香港マイル制覇を達成し、この年のJRA賞最優秀短距離馬にも選出された。
その後は勝ち鞍を挙げられなかったハットトリックだが、08年に父サンデーサイレンスの故郷アメリカで種牡馬入り。その産駒からは仏米のG1馬が誕生している。アメリカでは貴重なサンデーサイレンス産駒のチャンピオンホースでもあり、今後さらなる活躍馬の誕生が期待されるところだ。