ストーリー
距離別のレース体系が確立し「万能型の強豪」が生まれづらいのが現在の日本競馬。そんな中、2000mから3200mまで、ペースや馬場状態に左右されず連勝を重ね「万能の最強馬」に近づいたのがテイエムオペラオーだ。
そのデビューは98年8月の新馬戦。ここで2着と好走したが、骨折により約半年の休養を強いられ、現役生活は順調なスタートとは言い難いものであった。しかし、翌年2月の復帰2戦目から毎日杯まで3連勝。追加登録料200万円を支払って皐月賞へと駒を進めた。
その皐月賞は、アドマイヤベガ、ナリタトップロードなどが上位人気を占め、テイエムオペラオーは5番人気に過ぎなかったが、4コーナー大外から豪快な伸び脚を発揮。見事に一冠目を手中にした。
ただ、続く日本ダービーは3着。秋も菊花賞2着、そして有馬記念では3着に敗退。テイエムオペラオーの3歳時(現表記)は、最優秀4歳(現3歳)牡馬にこそ選出されたものの、まだ「G1馬の1頭」に過ぎない存在だった。
翌01年、古馬になったテイエムオペラオーは、一気に最強馬への階段を駆け上る。年明け初戦の京都記念、そして阪神大賞典も連勝。迎えた天皇賞(春)では、先に動いた菊花賞馬・ナリタトップロードをマークして競り落とし、ラスカルスズカの追撃も抑えて皐月賞以来となるG1タイトルを獲得した。
続く宝塚記念では、後々死闘を繰り広げることになるメイショウドトウを叩き合いの末に下して優勝。4戦無敗、G1・2連勝でテイエムオペラオーは春の戦いを終えた。
秋は復帰戦の京都大賞典で順当に勝利を手にすると、重馬場の天皇賞(秋)では後続に2馬身半の差をつけ天皇賞春秋連覇。さらにジャパンCはメイショウドトウ、ファンタスティックライトを左右に従える壮絶な叩き合いを制して優勝。そして有馬記念では、一周目で進路が塞がり後方に後退するという厳しい競馬を克服。馬群を割って直線の坂を駆け上がるとメイショウドトウをハナ差で抑え、この年「古馬中〜長距離G1完全制覇」という圧倒的な成績を収めた。
この01年は、文句なしの満票で年度代表馬の座を獲得。無傷の重賞8連勝、G1・5連勝という成績自体も素晴らしいが、2000mから3200mまで馬場の良否を問わず、自在な脚質で制した点にもこの馬の「強さ」が見て取れた。また、ややパワー型と見られていた中、京都大賞典では上がり33秒3の脚を繰り出し瞬発力勝負でも勝利を収めており、まさに「万能」と言える大活躍であった。
翌年も現役を続けたテイエムオペラオーは、大阪杯4着で連勝こそ途切れたものの、天皇賞(春)でまたもメイショウドトウを下し、天皇賞3連覇、G1・6連勝という偉業を達成した。しかしこれが最後のG1勝利となり、その後はメイショウドトウやアグネスデジタル、そしてジャングルポケット、マンハッタンカフェの引き立て役となっていった。
しかし、引退レースとなった有馬記念5着以外は連対を重ね、獲得賞金18億円余りは歴代最高。数多くの記録を残したテイエムオペラオーは、引退後の04年に顕彰馬に選出、「殿堂入り」を果たしたのだった。