ブラックホーク 最後にたどり着いた「マイルの頂点」

ブラックホーク
Photo by Japan Racing Association
性別
出生年月日 1994年5月14日
毛色 鹿毛
Nureyev
Silver Lane
競走成績 28戦9勝
獲得賞金 6億5267万0000円
表彰歴 なし
主な勝鞍 2001年 安田記念 G1
1999年 スプリンターズステークス G1
1999年 スワンステークス G2
2000年 阪急杯 G3
1998年 ダービー卿チャレンジトロフィー G3
厩舎 国枝栄(美浦)
生産者/産地 Watership Down Stud (英)
馬主 勝負服 金子真人
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ストーリー

父は欧州を代表するマイル種牡馬のヌレイエフ。母シルヴァーレーンもフランスのマイル重賞勝ち馬だ。おじには快速で知られたホークスターがいる。

英国生まれの外国産馬ブラックホークの体内には、確かにスピード豊かな血が流れているはずだった。陣営もこの馬を芝マイル戦中心に走らせることにする。

が、脚元がまだ万全ではなかったため順調に調教をこなせず、3歳(現表記)夏からは8か月、4歳夏からは1年以上と、2度にわたって長期休養も経験している。

結局、5歳の夏を迎えた時点で11戦5勝。その間、900万下、準オープン、ダービー卿チャレンジTと3連勝を飾るなど素質の片鱗は見せていた。休養から復帰後もスワンSを制している。が、この時期のマイル路線にはタイキシャトルやエアジハードといった王者がいたこともあり、ブラックホークはブレイクを果たすには至らなかったのである。

5歳秋、復帰4戦目のマイルCSで3着となった直後、1つの慧眼がブラックホークを上のステージへと引き上げることになる。

「この馬はマイルよりスプリント」

かつてブラックホークの手綱を握り、マイルCSでは別の馬に乗って後方からブラックホークの走りを確認した横山典弘騎手が、管理する国枝栄調教師にそう進言したのだ。

陣営も、ブラックホークがスプリンター体型に近づいてきていると判断、こうして久しぶりにブラックホーク&横山騎手というコンビが、1999年・第33回スプリンターズSで実現した。

そのレースぶりは、まさしく強豪スプリンターのものだった。仏G1のアベイ・ド・ロンシャン賞を勝つなどスプリント戦4連勝中のアグネスワールドをピッタリとマークし、直線ではクビ差競り落とすという強い勝ちっぷり。“路線転換”によって、ブラックホークはGIタイトルをつかみ取ったのである。

ところが6歳以降、ブラックホークにふたたびの停滞期が訪れる。初戦の阪急杯こそ貫禄で勝利したものの、高松宮記念では4着、安田記念9着、秋は連覇を狙ったスプリンターズSで3着、マイルCSは8着。

7歳になっても勝ち切れないレースは続き、阪急杯2着、高松宮記念2着、京王杯スプリングCが3着。大きく崩れることは少なかったが、勝利もなく、とうとう連敗は10となってしまった。

このままでは終われないと、意を決して臨んだのが2001年・第51回安田記念だ。前年の勝ち馬・香港の雄フェアリーキングプローン、京王杯スプリングCを差し切ったスティンガー、マイラーズC勝ち馬ジョウテンブレーヴらのいたこの一戦で、ブラックホークは渾身の末脚を発揮する。後方から直線一気、十数頭を交わし去っての追込み勝利だ。

当初の大目標だった「マイルでの頂点」に、生涯最後のレースでたどり着いたのである。

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