ストーリー
新馬戦を4馬身差で快勝し、続く福島3歳Sではレコードタイムの1着。1991年の秋、デビュー2連勝を飾ったシンコウラブリイの前途は洋々としたものに思われた。外国産馬がまだ少なかった当時、生まれ育ちがアイルランド、父が仏ダービー馬カーリアンという素性もまぶしい光を放っていた。
確かにその後、シンコウラブリイはターフで持てる素質を遺憾なく発揮し、いくつもの勝ち星を積み上げていくことになる。
翌1992年、ニュージーランドTは、圧倒的1番人気のヒシマサルや後のスプリント王サクラバクシンオーらを相手に完勝。ラジオたんぱ賞では後続を2馬身半突き放した。クイーンSは単勝オッズ1.4倍の断然人気に応えて3馬身半差の圧勝レース。富士Sでは、古馬牡馬相手にほとんど馬なりのまま勝つという離れ業を演じて見せている。
だが、ビッグタイトルとは縁のない日々を過ごしたことも事実である。
デビュー3戦目に迎えた阪神3歳牝馬Sではニシノフラワーに屈しての3着。富士Sからの連闘で挑んだマイルチャンピオンシップは、稀代の個性派マイラー・ダイタクヘリオスの連覇を許す2着に終わった。
明けて1993年の初戦、京王杯スプリングCはヤマニンゼファーに及ばずの2着。続く安田記念でもヤマニンゼファーに突き放され、伏兵イクノディクタスにも交わされて3着という結果だった。
強さは誰もが認めていた。ただ、あまりにも強敵が揃いすぎていた。
それでもシンコウラブリイは、一歩ずつ着実に栄光の瞬間へと近づいていった。札幌日経オープンを単勝オッズ1.0倍のプレッシャーを抱えながら勝利し、毎日王冠ではセキテイリュウオーやナイスネイチャらを完封。スワンSも重馬場を蹴立てて1着となった。
そしてようやく、歓喜の瞬間へと辿り着いたのである。
迎えたのは第10回マイルチャンピオンシップ。激しい雨、不良馬場というコンディションの中、前年と同様1番人気に推されたシンコウラブリイは、堂々とした強気のレースを見せ、前年とは異なる結果をたぐり寄せる。
逃げるイイデザオウが各ハロン11秒台のラップを刻む。ドロドロの馬場を考えれば速いペースだ。さすがに各馬とも直線では苦しくなり、ラストスパートに移ってもなかなか前との差を詰められないでいる。そんな中、好位3番手を追走したシンコウラブリイは力強く抜け出すと、逃げ粘るイイデザオウに1馬身4分の1差をつけてゴールへと飛び込んだのだった。
ようやくつかんだGIの栄冠。それは、現在ではトップトレーナーとして知られる藤沢和雄調教師にとっても初のGIタイトルとなり、またシンコウラブリイ自身にも、この年のJRA賞最優秀古馬牝馬という輝かしい勲章をもたらした勝利だった。