ストーリー
父は2000mの天皇賞(秋)優勝馬サクラユタカオー。叔父に春の天皇賞馬アンバーシャダイ、そして従兄は菊花賞2着馬イブキマイカグラ。血統好きならずとも「中距離以上で」との想像がふくらんでくる。しかし、そんなファンの予想を大きく覆す結果を残したのが、サクラバクシンオーだった。
サクラバクシンオーは92年1月にデビューし、3戦2勝と良血馬としての期待に違わぬ競走生活のスタートを切った。しかし、クラシックを目指し出走したスプリングSでは、後の二冠馬・ミホノブルボンに3.5秒もの大差をつけられる大敗を喫してしまう。
この敗戦で皐月賞前日のクリスタルCに目標を切り替えると、3馬身半差で重賞初制覇。その後、菖蒲S、キャピタルSと1400mのオープンで勝ち鞍を重ね、暮れのスプリンターズSでは古馬の強豪相手に6着と好走するなど、スプリンターとしての素質を徐々に花開かせていった。
4歳(現表記)前半を脚部不安で休養に充てたサクラバクシンオーは、復帰戦のオータムスプリントS(芝1200m)を快勝。3戦目のキャピタルSでは連覇を飾り、前年6着の雪辱を期してスプリンターズSに出走する。
ここには、前年の2着馬でこの年の安田記念と天皇賞(秋)を制していたヤマニンゼファー(1番人気)、そして前年の覇者ニシノフラワー(3番人気)が出走。そんな中、充実度を買われたサクラバクシンオーは2番人気に推されてレースを迎えた。
サクラバクシンオーは好スタートから3番手につけると、直後にヤマニンゼファー、やや離れてニシノフラワーを従える競馬。4コーナーで外から2頭が脚色良く迫ってきたが、自身も手応えは十分。直線の坂で追い出されると一気に突き放し、引退する2頭との「世代交代」を存分に印象づける2馬身半差の完勝で、初のG1タイトルを手中にした。
翌94年のサクラバクシンオーは、春にダービー卿チャレンジT(当時1200m)に優勝し、秋はスワンSを当時の日本レコードで制覇。安田記念や毎日王冠でも4着と、徐々に距離への対応力も見せてはいたが、マイルCSでは引退するノースフライトの2着に敗れるなど、完全に壁を突破するには至らなかった。
しかし、暮れのスプリンターズSはこの馬の舞台である。この年から国際競走に指定され、3頭の外国馬も出走していたが、前年同様に好位につけると直線はまさに独壇場。みるみる後続との差を開き、2着ビコーペガサスに4馬身差。1分7秒1の日本レコード(当時)で連覇を飾り、最優秀短距離馬のタイトルも獲得して自らの引退に花を添えたのだった。
種牡馬としてもショウナンカンプなどの短距離馬を多く輩出し、今や中距離という印象は皆無となったサクラバクシンオー。しかし成長力に富んだ産駒が多い点では、自身や父サクラユタカオー、叔父アンバーシャダイなどに通ずるところを見せていると言えそうだ。