ストーリー
勝ちパターンにはまれば強いのはわかっている。しかし、いつそのパターンにはまるのかがわからない。90年代初期のマイル路線でそんな競馬を続け、常にファンを迷わせた名マイラーがダイタクヘリオスだった。
89年秋にデビューしたダイタクヘリオスは、翌90年春のニュージーランドT4歳S2着まで12戦4勝2着3回。距離の壁に阻まれたきさらぎ賞、スプリングS以外はすべて掲示板を確保し、クリスタルC優勝や阪神3歳S2着など、当初は安定した成績を残していた。
しかし秋の復帰戦・マイルCSで17着大敗を喫すると、その後の3戦も馬券にすら絡めず計4連敗。早熟なスプリンターかと疑う声も少しずつ上がりはじめた。ところが、中京で行われたマイラーズCを5馬身差で大楽勝。この勝利で再び評価を高めたダイタクヘリオスだったが、続くダービー卿チャレンジTは1番人気で4着、さらに京王杯スプリングCは6着。いつの間にか、デビュー当初に見せた「安定感」とは無縁の馬になっていた。
そんなダイタクヘリオスが一発を演出したのは、10番人気にすぎなかった安田記念だ。直線坂下で先頭に立つと、ダイイチルビーにこそ差されたものの、しぶとく粘って2着好走。阪神3歳Sに続く2度目のG1連対を、またもマイル戦で記録したのだ。
さらに1200mのCBC賞5着を挟み、当時2000mで行われていた高松宮記念では、4角先頭から押し切ってダイイチルビーに雪辱。折り合い難から1200m戦に出走することも多かったが、マイル以上の距離で気分よく走った際に強さを発揮するようになっていた。
秋も1800mの毎日王冠では2着好走、続く1400mのスワンSは9着敗退。そして迎えたマイルCS。ハナを切ったダイタクヘリオスは、直線に向くと一気に後続との差を3〜4馬身まで開く。ゴール前も逃げ脚は衰えず、ダイイチルビー以下を振り切って逃げ切り勝ち。ベストの距離で、ついにG1タイトルを手中にしたのだった。
G1馬となったダイタクヘリオスは有馬記念でも5着と健闘し、翌春はマイラーズCを連覇。京王杯スプリングCは4着に敗れたが、前年のマイラーズC以降、1600〜2000mではなんと【4.2.0.0】の好成績である。
当然、前年2着の安田記念では「1600mなら」という期待がかかる。ところが、好位から伸びを欠いてヤマニンゼファーの6着に敗退してしまったのだ。続く宝塚記念でも5着に敗れ、いつ走るかわからない馬との評価が定着していった。
そんな流れをそのままに、秋は毎日王冠を優勝し、天皇賞(秋)では逃げつぶれて8着。さらに、マイルCSでは前年のリプレイのような競馬で連覇したと思えば、1番人気のスプリンターズSは4着敗退。有馬記念12着を最後に引退したダイタクヘリオスだったが、この92年はファンを振り回し続けた1年だった。
それから8年。00年のスプリンターズSでは息子のダイタクヤマトが前走7着から大変身(16番人気1着)。「またダイタクヘリオスか!」と思いながらも、つい笑みがこぼれてしまったファンも多かったに違いない。