ストーリー
関西の3歳(旧表記)王者決定戦だった阪神3歳Sが、東西共通の3歳女王決定戦・阪神3歳牝馬S(現阪神JF)に衣替えしたのは91年のこと。ニシノフラワーはその記念すべき1回目を制し、翌年には桜花賞、スプリンターズSまで優勝した名牝だった。
ニシノフラワーのデビューは91年夏。札幌ダート1000m戦を4馬身差で圧勝すると、続く札幌3歳S(当時芝1200m)も好位追走から楽々と抜け出して3馬身半差で快勝。さらに、デイリー杯3歳S(芝1400m)も同じく3馬身半差で制し、3戦3勝で阪神3歳牝馬Sに駒を進めた。
単勝1.9倍の断然人気に推されたニシノフラワーは、道中3番手の内を追走。手応えよく4コーナーを回ると、直線も末脚を伸ばしてサンエイサンキュー、シンコウラブリイ以下の追撃を退け優勝。騎乗した佐藤正雄騎手、生産した西山牧場ともにG1初制覇で、牝馬限定戦1回目の阪神3歳牝馬Sは初物づくしの結末になったのだった。
4戦全勝で最優秀3歳牝馬に選出されたニシノフラワーは、翌92年、チューリップ賞で始動する。しかし、やや仕掛けが遅れた上、当時は時計のかかった阪神コースが雨でさらに重くなり、切れ味も削がれアドラーブルの2着に初めての敗戦。手綱をとった佐藤正雄騎手は自ら乗り替わりを申し入れ、桜花賞には河内洋騎手を背に出走することになった。
迎えた桜花賞。好スタートから3番手につけたニシノフラワーだったが、がっちり抑えて好位に待機。しかしスピードの違いで3コーナー手前で早くも2番手に進出すると、4コーナー過ぎには馬場の3分どころで先頭。直線半ばで追い出されると、最後は2着アドラーブルに3馬身半もの差をつける圧勝で2つめのG1タイトルを手中にした。
続くオークスでも4コーナーで先頭に並ぶ積極的な競馬を見せたが、直線ではこの馬本来の伸びがなく7着に敗退。行きたがる気性が影響し、距離の壁に跳ね返された敗戦だった。
秋はローズSで4着、そしてエリザベス女王杯でも勝ち馬から3馬身半差の3着に敗退。桜花賞までの勢いをなくしたニシノフラワーは、中〜長距離から一転して12月のスプリンターズSに出走する。
久々の短距離戦で後方追走を強いられたニシノフラワーだったが、4コーナー手前でようやくエンジン全開。直線坂下で外に持ち出すと、ゴール前では勝利をほぼ手中にしていたかと思われたヤマニンゼファーを豪快に差し切って優勝。G1・3勝目を挙げるとともに、最優秀4歳牝馬、最優秀スプリンターのタイトルまで手中にしたのだった。
翌93年はマイラーズCを制し、12月のスプリンターズS3着を最後に引退したニシノフラワー。3歳女王がそのまま翌年も桜花賞を制し、阪神3歳牝馬Sの創設を「成功」に導いた功績は、目立たないながらも非常に大きかったと言えるだろう。またスプリンターズSの勝利は、今でも「短距離の追い込み」といえばこのレースと言われるほど、ファンに強い印象を残している。